第1404回('20) 東海道本線の琵琶湖線区間を乗り鉄・降り鉄(2) | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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前回の続き…
 
2020年12月26日、『冬の関西1デイパス』(3,600円)を利用して日帰りの日程で滋賀県方面へ。東海道本線【琵琶湖線】の駅を乗り鉄・降り鉄しました。今回はあまり体力を消耗しないように時間にゆとりを持って降り鉄をしました。
また、新型コロナウイルス感染拡大の第3波が襲来しており、いつもと同様にマスクの着用、アルコール消毒液の携帯といった新型コロナウイルス対策を講じました。
 
今回は後半の内容です。
大津市内の駅を降り鉄した後は草津駅から篠原駅までの琵琶湖線の駅を降りつぶしていきました。そして最後は野洲駅から新快速に乗り、一気に加古川駅へと戻りました。
 
今回の日程 2020年12月26日  (土)    【後半】
 
瀬田1139(琵琶湖線)1145草津1231(普通)1234栗東1304(普通)1306守山1337(普通)1349篠原1429(下り普通)1433野洲1503(琵琶湖線→JR京都線→JR神戸線・新快速)1655加古川
 
【帰宅】

瀬田駅からは引き続き米原方面へ進みます。11時39分発の上り普通列車・野洲行きに乗車しました。車両は最新の225系100番台8連でした。乗り込んだ最後部車両は空いていて、私は転換クロスシート窓側席に座りました。道中は水分補給をしつつ車窓風景を眺めていました。次駅の南草津駅は8月に訪問したので今回はパスして、もう1駅先の主要駅、草津駅で下車しました。草津駅は草津線の分岐駅で、ホーム3面6線に待避線も有する大駅です。乗車人員も長らく滋賀県内1位でしたが、2014年に新駅の南草津駅に追い抜かれ、現在は県内2位に甘んじています。それでも県内1位、2位を草津市内の駅が占めているのは凄いです。尚、南草津駅につきましては2015年に立命館大学の一部学部・学科が大阪府茨木市のキャンパスへ移転し、2024年頃にも移転する学部・学科があるようで、2015年移転時は乗車人員の減少は免れたものの、今後の移転時はどうなるか分からず、影響が大きければ草津駅が再び県内No.1に返り咲くかもしれません。
 
 

  
下車後は改札を出て、駅前を散策しました。まず正面口に相当する東口に回りましたが、駅前は再開発により整然とした感じで、北側には近鉄百貨店があり、南側には滋賀県発祥のスーパー「平和堂」があります。また、ペデストリアンデッキ上は東海道五十三次の草津宿本陣を模した門や建物(休憩所)がありました。次は西口に回りましたが、こちらも再開発により整然としていて駅前通り沿いを中心に新しい街並みが広がっていましたが、裏口感が少々漂っていました。まぁどちらも人が多く、確かに駅前は県庁所在地の大津市にある全ての駅を差し置いて滋賀県No,1の規模でした。大津市には大津駅、石山駅、大津京駅、堅田駅、浜大津駅など、まぁまぁの規模の駅は複数あるものの、抜きん出た駅はありません。
 
 

 

 
駅前を散策後は改札内に戻り、12時31分発の上り普通・米原行きに乗車。将来的に奈良区へ転出となる予定である221系の短い6連で、最後部車両は大半の座席が埋まっていたため、私はドア横の補助席を引き出して座りました。そして道中は分岐する草津線などを眺めて過ごし、1駅目の栗東駅で下車しました。栗東駅は一見難読ですが、名神高速道路の有名な栗東インターチェンジがあり、また南部にはJRAの栗東トレーニングセンターがあるため、物流や道路交通の関係者、競馬ファンには馴染みの地名です。一方、栗東駅は1991年開業の新駅で、バブリーなデザインの橋上駅舎が印象的でした。また、駅構内や駅前の看板には栗東市のマスコットキャラクター(ゆるキャラ)である「くりちゃん」が描かれていて、市名にちなんで栗をモデルにしているのですが、記事に書く方は表記に気を付けないといけないので気を遣いますwww(「くり」をカタカナで書いてしまうと…以下略)。まぁ、栗東市のキャラクターはてっきり馬だと思っていたので、少々驚いたのですが…(尚、「くりちゃん」が馬に乗っているイラストはありましたがw)。ちなみに栗東駅は草津線の手原駅に代わり栗東市の代表駅になりましたが、時間帯もあるのか駅の利用客は少なかったです。
 
 

 

 

 
栗東駅からは13時04分発の普通・米原行きに乗りました。223系6連×2の12両編成で、今回も最後部車両に乗り込みました。12両あるため車内はガラガラで、私は転換クロスシート窓側席に座り、水分補給をしてから車窓風景を眺めていました。そして私は次駅の守山駅で下車しました。守山市の代表駅ですが相対式ホーム2面2線とコンパクトな構造でした。しかし昔は下り線側(東口側)に貨物側線があり、近隣の工場への専用線もあったため広い構内を有していました。現在、貨物側線跡は駐車場になっていますが、自由通路はその駐車場を跨いでおり、往時の面影を残しています。また、以前より1番のりばに面して出店しているコンビニ「ハートイン」に直結の出入口(改札口)がありましたが、店舗が「セブンイレブン」に変わっても残っていました。そして駅前は西口の方がメインでビルが多く賑わっていましたが、東口側は商店が少なく閑散としていました。
 
 

 

 

 
守山駅では13時37分発の普通・米原行きに乗車しました。223系4連+8連で、私は最後部車両(8連側)に乗車。車内には誰もおらず、私だけの貸切状態になりましたw 転換クロスシート窓側席に座り、野洲川などの車窓風景を眺めました。次の野洲駅は後で訪問するため下車しませんでしたが、新快速を待避するため数分間停車しました。新快速から普通に乗り換える人は一定数いましたが、私の車両(1号車)に乗ってくる人はいませんでした。野洲駅を発車後は車両基地や田園風景を眺めて、守山駅から12分で到着した篠原駅で下車しました。駅前がローカルな感じの住宅地だったので木造駅舎が残っているのかと思いきや、立派な橋上駅舎が鎮座していました。橋上駅舎は2015年に建てられたそうです。一方、駅前ですが、旧駅舎があった北口は昔ながらの集落が広がっていました。新たに開設された南口は駅前広場が整備されているものの雑木林が残っていたり、よりローカルな感じがしました。
 
 

 

 
まだまだ先へ進みたい所ですが、この日は夜に用事があるため、そろそろ引き返さなくてはなりません。乗車したのは14時29分発の下り普通列車・姫路行きで、221系8連でした。私は最後部車両のクモハに乗り込みましたがガラガラで、転換クロスシート窓側席に座り界磁添加励磁制御のモーター音を聞きながら車両基地などの車窓風景を眺めて過ごし、次駅の野洲駅で下車しました。野洲駅は多くの列車が始発・終着とする主要駅ですが、そのような列車が設定される理由は野洲が大きな街だからではなく車両基地があるからです。始発列車の多さからベッドタウンとして町が徐々に発展し、所在地の野洲町も平成の大合併を経て野洲市になりました。とは言え、近年まで「町」だったからか現在の駅前も思ったほど発展しておらず、先ほど訪問した栗東や守山と比較しても見劣りしました。また、ローカルムードも漂っていて同じような境遇の駅である網干駅と似たような感じでした(但し、駅前は野洲駅の方が賑やかです。そして駅前にはホテルも見当たらず、夜中に野洲駅まで寝過ごしてしまうと大変な目に遭う事間違いなしですww 
 
 

 

 
駅前を散策後は改札内に戻り、当駅14時59分始発の新快速で家路につく事にします。しかし、14時台に能登川駅付近の踏切で非常ボタンが押されたか何かでダイヤが乱れてしまい、数分の遅れが発生していました。ホームで待っていると、発車時刻の3分後、15時02分に下り本線の1番のりばに新快速・播州赤穂行きが入線しました。先行列車が遅れていたため仕方ありません…。車両は225系100番台8連+おそらく223系4連の12両編成で、私は先頭車両(225系側)に乗り込みました。野洲発車時点で半分の窓側席が埋まる程度の低い乗車率でした。
 
 

 
新快速は4分遅れの15時03分に野洲駅を発車しました。道中はひたすら車窓風景を眺めていました。また、途中の停車駅ごとに少しずつ乗客が増えましたが、先行列車との差が詰まっているのか、はたまた新型コロナウイルスの影響なのか、思ったほど乗客は増加せず、京都駅発車時点でも空席が残っていました。この傾向は大阪駅を過ぎても続き、混雑しない状態が続きました。そして先頭車両に乗り込む人が多い三ノ宮駅でも満席にはならず(ボックス席に一部空席あり)、これは異常な光景に思えました…。私は神戸を過ぎても車窓風景を眺め続けました。朝霧駅付近では播磨灘に沈む夕日が綺麗でした。そして新快速は16時55分に加古川駅に到着し、私は下車しました。所定は16時54分着でしたが、遅れは1分まで詰めていました。
 
 

 
加古川駅下車後は、用事があったため自宅へ直行しました。
2020年の乗り鉄はこれで終了ではなく、年末にも出かけています。その内容につきましては後日UP予定です。
 
 
(つづく)
 
 
今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません
 
 
(参考:Wikipedia)