ハマを駆け抜けた若草色の電車の話 その2
毎度ご覧いただきありがとうございます。
一回で済ませようと思ったのですが、思ったより内容が膨らんでしまったので前回の続きになります。
さて、マイクロエースの新旧6000系ですが、細かい考証の得意な同社らしい、なかなか「相鉄らしいカオスさ」をうまく表現した製品になっていますので、そのあたりを中心に書いていきたいと思います。
まずは旧6000系冷改車セットの方です。
製品は冷房改造後にメジャーだったな5M3Tの8両編成。
中間にクハを挟んだ「典型的な旧6000系の編成」になっています。
詳しくは不明ですが、考証の深いマイクロエースらしいおそらく一時的に実際に存在した編成になっているものと思われます。
まずは前面から。実車の特徴をよく掴んだいい造形です。
前面上部のモスグリーンのラインのカーブはややキツ目かなという気がしますが、「ああ、ざっと見るとこんなふうに見えるよね」という感じでなかなか悪くありません。
クハ6500の、中途半端にジャンパケーブルの表現がついているのはこの頃のマイクロ製品の特徴でもありますねw
この辺りは追々加工していければいいなと思います。
昭和30年代の関東私鉄車によくみられる、上部隅のみにRが付いている独特の窓形状もしっかり表現されています。
相鉄6000系のドア間の窓は2枚1組ではありますがサッシは独立しています。鉄コレではサッシが2枚一体になってしまってますが、マイクロエース製品はそのあたりもしっかり表現しています。これはいいですねw
相鉄旧6000系は、冷房改造の時期により施工場所や車体更新の有無に違いがあるようで、その影響かベンチレータの数が異なるものが存在します。初期の冷房改造車は東急車輛(現在のJ-TREC横浜事業所)で行っていて車体更新工事も行われたようですが、後期の冷房改造車はかしわ台の工場で施工していて、更新工事も省略されたようです。両方は編成中で混在しているのが相鉄らしいところで、模型でもしっかり両方存在しているのがマイクロエースらしい拘りを感じます。
加えて、中間電動車であるモハ6100の中でも付いているものといないものがあります。
製造時には何かしらルールがあったのかもしれませんが、編成替えを繰り返した結果なのか、ランダムに付いています。
貫通扉の戸袋窓は上部が低めなのですが、これもちゃんと再現されていて、ニヤリとしてしまいますw
製品では中間電動車のモハ6100はこのセットに4両含まれていますが、上記のバリエーションで3種類の形態を見ることができます。
貫通扉付き・ベンチレータ少・・・6108,6135
貫通扉なし・ベンチレータ少・・・6131
貫通扉なし・ベンチレータ多・・・6113
(写真は左から6108,6113,6131,6135)
クハ6500は2両ありますがベンチレータの数が異なっていて、
ベンチレータ少・・・6514
ベンチレータ多・・・6517
となっています。
セット中に1両ずつ含まれるモハ6000とサハ6000に関しては、モハ6000はベンチレータが少ないタイプ、サハ6600はベンチレータが多いタイプになってます。実車は当然ながら多いものと少ないものが存在します。
電動車に付いているヒューズボックスはちょっと面白い形をしています。
一瞬エラーかと思いきや、昔の相鉄の動画を確認したら実物もこんな形をしていましたw
一方で、実車では新6000系に付いているような一般的な形のヒューズボックスの車両も相当数存在していたようですが、模型では全てが旧6000系独自の形になっています。この辺りは流石に細かい資料がないようなので、致し方ないと言ったところでしょうか。
パンタグラフは全車ともクラシカルなPS13です。この辺りは実車どおりですが、新性能世代の車体にPS13というギャップがなかなか面白いですね。
ドアは全てHゴムのない抑え金具式の窓になっています。旧6000系の冷房改造車の中にはしばらく鋼製ドアのままで窓にHゴムが存在するものもありましたが、80年代末期にはアルミ試作車の6021を除いて全てステンレス製で窓にHゴムのないドアに交換されています。模型はその時代のものということになりますね。
クハとサハにはシルバーシートマークが印刷されています。80年代頃まではシルバーシートの設定自体がなく、末期は各車の車端にシルバーシートが設置されたため、プロトタイプが80年代末期から90年代初期にかけてということがわかります。実車は窓にもシルバーシートステッカーが貼ってあるはずなのですが、この頃の相鉄のシルバーシートステッカーは広告と一体になった独自のもので、変遷も多いことからどこのメーカーからも製品化はされていないようです。
ついで、新6000系の方を見てみましょう。
製品は引退直後位に発売されたもので、8両セットと2両セットを合わせて10両が組成できるようになっています。
新6000系は8両編成での運用が多かったので、なかなかいい売り方と言えるかもしれません。
プロトタイプとしては2000年頃に組成されていた6+4の10両編成で、新6000系としてはやや珍しい編成と言えるかもしれません。
車両番号は元「ほほえみ号」の6718Fに廃車なった6703Fのモハ2両を挟んだものになっていて、実際に存在した編成になっています。
まず前面から。
ガラス窓及び方向幕の大きさのバランスは良く、マイクロエースとしては後発製品である同社の7000系より実車に似ているような気がします。
ドアや窓のバランスも実車の雰囲気をよく再現していて、なかなか文句ない出来になっていると思います。パンタ周りも偶数車と奇数車でしっかり作り分けされていて、当たり外れの大きかった当時のマイクロエースとしては「当たり」の製品だったと言って良いと思います。
ところで、新6000系は1971年度まで非冷房で製造されており、新製冷房車と冷房改造車が存在します。
この6718x10の編成は新製冷房車と冷房改造車の混成になっており、ちゃんと両者について作り分けが行われています。外観上は新製冷房車はベンチレータが少なく、冷房改造車はベンチレータが多いので区別が付きます。
室内は新製冷房車が7000系などと同じ暖色系、冷房改造車は旧6000系と同じ緑色系統のものになっていましたが、模型でもしっかり再現できているのがさすがマイクロエースといったところです。
余談ですが、この「伝統」は9000系まで続いており、シングルアームパンタとPS16の混在がみられただけでなく、7000系などでは一時期は、PS13までもが混在していた編成もあったようです。
さて、模型の方では、これらの作り分けが行われた結果、地味にバリエーションが多い感じになってます。
モハの場合
新製冷房・PS16N・・・6329,6331
新製冷房・PS13・・・6330,6332
冷房改造・PS16N・・・6303
冷房改造・PS13・・・6304
クハの場合
新製冷房・・・6540,6718
冷房改造・・・6534,6710
編成内で統一されてないあたりがいかにも相鉄らしいといったところですねw
シルバーシートマークについてはどの車両にも付いていません。
プロトタイプが「シルバーシート」から「優先席」と呼称が代わり、原則的に各車車端部に設置される様になった頃のものとなっていて、実車はこの時代には小さなシルバーシートマークが窓に付いていただけのようです。
それにしても、改めて相鉄6000系について振り返ってみると、なかなか一筋縄では行かない電車ですね〜。
よく製品化してくれたものだと、マイクロエースに感謝しなければなりませんw
以上で相鉄6000系については終わりなのですが、相鉄の「若草色の電車」は実はもう一つあります。
そちらについても相鉄ファンの方にお叱りを受けてしまうのでw書いておくことにします。
模型はないので文章のみの紹介になりますが、ご了承ください。
相鉄の「若草色の電車」には6000系の他に3000系というものが存在しました。
正確には1986年の更新改造までは3010系、それ以降は2代目の3000系ということになります。
3010系は国鉄払い下げの63形や戦災復旧車をまとめた元旧型国電の初代3000系を、昭和40年に旧6000系同等の車体で車体更新したグループです。
初代3000系は9両でしたが、3010系となる際にサハ1両を新製追加して10両となっていました。
見た目には旧6000系そっくりでしたが、標識灯や幌枠の形に若干の差異があり、細かな見分けポイントになっていました。追加新製されたサハは当初からステンレスドアになっていましたが、Hゴム固定ながらドア窓のサイズが縦に長い東武8000系のようなドアになっていたのが特徴で、異彩を放っていました。
足回りは旧型国電由来で吊り掛け駆動方式の旧性能電車で、見かけと乖離した、旧態依然とした轟音をたてて走っていたことと思われます。
10両一本ということと、旧性能ということでさすがに使いづらかったのかほとんど出番はなく、朝ラッシュ以外は車庫で寝ていることが多かったようで、自分も3010系時代には一回も遭遇したことがありません。
ところが、1986年にこの日陰モノと言っていい電車に大きな転機が訪れます。
車体はそのままに足回りをVVVFインバータ制御に変更し、一躍最新式スペック(ただし足回りのみ)の電車に生まれ変わりました。番号は改番され、2代目の3000系となりました。(ただし各車とも下2桁は50番台となった)
今度は昭和30年代の見た目にインバータの変調音が響く、またもや見た目と足回りの一致しない電車になったわけですw
改造後の3000系は相鉄のVVVFインバータ試作車と言っても良いものとなっており、電装品も東洋電機製の車両と日立製の車両の車両が混在していました。なお、東洋電機製の機器はのちに5000系のインバータ改造車に採用され、日立製の機器は新7000系に採用されています。駆動方式はいずれも「相鉄伝統」の直角カルダンを採用しており、当時とては国内初の直角カルダンのインバータ電車になりました。
なお、車体はほとんど変わらなかったものの、旧6000系との判別点の一つになっていた標識灯は旧6000系と同じ角形のものに交換され、より旧6000系と見分けがつきにくくなりました。
インバータ電車となってからは比較的運用機会も多くなっており、自分も何度か乗ることができました。旧6000系の様な見た目の電車からインバータ音がするというのはなんとも不思議な気分になったものです。
ただ、電装メーカー品の違いに起因する微妙な性能の違いから前後動があるなど、現場の評判はあまりよくなかった様です。
「魔改造電車」とも呼べる3000系は旧6000系引退後にも活躍しましたが、1998年に車庫で脱線事故を起こしてしまいます。
もともと予備的な扱いだったことと、10両一本の特殊車と言うことで結局修復は行われず、翌年に8000系に置き換えられてひっそりとこの世を去っていきました。
戦後の激動の時代を生き抜いた電車としては寂しい最期になってしまいました。
以上、ハマを駆け抜けた若草色の電車の話でした。
ネイビーブルーの上質な電車を擁して都心に殴り込みをかけ、急速に変化を遂げている相鉄にも、かつてはこんな味のある電車がいた事を知って頂けたら幸いです。
次回はほぼ同時期に入線してきた、かつての大手私鉄の雄、東武8000系について書いてみようと思います。