こんにちは。
今日はED75機番シリーズのNo.110 758号機のPart-2です。今なお現役機ですし、案の定凄い沢山のコマが出て来ています。今日は1995~2000年頃の写真をUpしたいと思います。
Part-1では奥羽本線客レ廃止に伴い、[青]へ転属したところまで書きました。その青森遠く離れた南東北、磐西の客レ運用にも入りました。50系4連、朝一番の上り列車です。
1995/05 磐越西線 広田-東長原 1222レ
こちらは東北本線の50系客レ。編成が短いのは間違いないのでサイドに回ってアングルを作っていました。ボックス席に乗客がチラホラ..懐かしの客車列車です。特急に乗車できる切符を持っていてもわざわざ客レを選んで乗りましたっけ。しかし長閑な旅も終焉が迫っていました。758号機牽引の客車普通列車はこれが最後の1枚、96年にはJR東日本管内の普通客車列車は全廃となりました。
1995/09 東北本線(特記以外以下同様) 苫米地-北高岩 527レ
降りしきる雪の中、臨時急行八甲田を牽引してやって来ます。ちと降り過ぎ..機番も堂々12連の14系客車も霞んでしまっていますが、冬らしい風景かな。年末の多客臨運転でした。
1995/12 小湊-西平内 8105レ
普通客レが無くなっても、この頃はジョイフルトレインが多数運転、この牽引にあたりました。
会津磐梯山の麓を行く758号機です。後に続くのは尾久の欧風客車”スーパーエクスプレスレインボー”(ネーミングが長い..)です。14系の改造車、派手な塗装でした。
1996/11 磐越西線 更科(信)-磐梯町 9233レ
97年にはナナゴー最後の寝台特急運用”あけぼの”の牽引にも充当されました。冬場だけの重連運用、青森駅発車前、客車へ連結されるところです。768+758号機の重連でした。これは前に模型記事でUpした写真です。
連結後、何とか758(”ナゴヤ”と呼ばれていました。)機番だけ出せる角度が見つかったので一撮。翌日の下り運用を見越してか、後方もヘッドマーク付きでした。この翌日撮影出来ていればきっと758先頭..確か日曜日で帰らなきゃいけなかったんですよねー(泣)。結局ナゴヤ先頭の重連あけぼのは撮れずに終わりました。当時は陸羽東線回り、ナナゴーは新庄までの運用だったと思います。自分はこの列車には乗車せず、遅く発車して上野到着は早い”はくつる”で帰っていました。
1997/02 奥羽本線 青森駅 1002レ (2枚とも)
高崎のお座敷”くつろぎ”を牽引、塗装は茶色系になっていますが、12系種車のスタイルを色濃く残していました。
1997/11 白坂-新白河 9101レ
これは狙っていたわけではなく、背後から不意に来たのを慌てて押したものと思います。何とか機番が出る位置でシャッター切れていました。東北本線盛岡以北のロンチキはあまり記憶に無いかも..知っていれば前撮りしたでしょうねー..
1998/04 三戸-目時 列番不詳
青森のナナゴーは定期で貨物列車の運用も担当していました。この朝の車扱貨物はその1つ、連なるタンク車は影になってしまっていますが、上ったばかりの朝陽に顔がいい感じでテカってくれました。この時まではケーブル、ホース類フル装備です。
1998/11 白河-久田野 5173レ
これは知っていて撮影したと思いますが、列番のメモがありません。レール輸送の”ロンチキ”がSカーブに乗っていました。この時上り方のKE77開放栓ケーブルと、左側のエアホース1本が外されていました。
2000/05 五百川-日和田 列番不詳
仙台の12系改造欧風客車”オリエントサルーン”を牽引します。金帯の”専用機”が居ましたが、それ以外が牽引することもありました。色変え機を嫌う私としては”大当たり”でした(笑)。
2000/05 金ヶ崎-六原 9***レ(列番不詳)
上の列車は東北本線を走破し、その後青森から奥羽本線へ入る運用でした。客レ時代散々撮影に通った鶴ヶ坂にて。またここで客車牽引のナナゴーを見られたな なんて思っていたと思います。赤い塗装の客車、50系時代を彷彿とさせます。
1End側が前になっているので、青森駅で機回しの上、奥羽本線へ入線だったのでしょう。
2000/05 奥羽本線 鶴ヶ坂-大釈迦 9***レ(列番不詳)
今回はここまでにしたいと思います。客レが無くなっても寝台特急、ジョイトレ、貨物、工臨と幅広く活躍していました。
初撮影が1990年で今なお現役、ナナゴーで2番目に撮影歴の長い機関車です。まだまだ続く予定です。
機番表です。白抜きの機番はUp済です。サイドメニューのテーマ”ED75機番シリーズ”をクリックいただくとこれまでの記事が一覧表示されます。
以上ED75 758 機番シリーズNo.110その2、最後までご覧いただきありがとうございました。