民鉄の覇者 東京急行電鉄 79、東急ターンパイク | 犬と楽器と鉄道模型

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多摩田園都市構想からの高速鉄道構想は、城西南地区開発発表時には東急ターンパイクの建設へと、考えが変わっていた。
伊豆急の建設の話が出ていたからである。

又、五島は鉄道敷設には他人が線を引いたものを頼まれたり、「こっちから先に作ってくれ」とかの注文を付けられた思い出があり、もう鉄道敷設はこりごりであった。

事実、五島はこう語っている。
「もう、鉄道敷設はやりたくない。
子供にも孫にもやらせたくない」
と・・・

多摩田園都市に自動車専用道路を建設し、渋谷へ。
東急ターンパイクは、渋谷から二子玉川を経由して江の島まで計画されたのである。

1954年、日本の道路の舗装率は未だ低かった。
しかし車は戦後から一貫して増え続ける一方であった。
早かれ遅かれ一般道は渋滞が深刻な事態になる事が予想されていたのである。
その打開策として見出されたのが、高速道路のコンセプトとなる自動車専用の有料道路だった。

増え続ける自動車に、先見の明をつけるのは先駆者としては自然である。
五島は多大なインフラ・資金を要する鉄道より、これからは自動車だと考えていた。

道路事業参入への第一歩として作られた道路が、箱根ターンパイク(現・MAZDA ターンパイク箱根)であった。
この箱根ターンパイクは小田原~箱根間、全長18㎞である。

又、湘南ターンパイクは藤沢~小田原間、全長30㎞の免許を申請する。
そして、東急ターンパイクの渋谷~江の島間全長47.2㎞の免許も申請した。

 

イメージ 1

 

はまれぽ.com幻の高速道路計画「東急ターンパイク」の真相は?より 】

 


最終的には、箱根~多摩田園都市~渋谷の3つを結ぶルートの自動車専用道路を想定していたのである。

 

しかし・・・

伊豆急建設、西武との戦争、その他色々あるのに良くあっちこっちと手を出しているのは不思議である。

 

幹部達もさぞや大変だったのだろうと思う。

 

 

この記事は2015-04-14

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