vol.363 冬の九州2021①熊本地震/豪雨応援(1) 甦る熊本城 (プロローグ大牟田付) | 旅ブログ Wo’s別荘

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  一昨年(2019)まで隔年、九州を訪れて”秋の九州シリーズ”をおおくりしてきましたが、その最終回で告知しました通り、これからの九州作は季節”ランダム”に訪れていく事になっています。

 ・で、今回~ひらめき電球

 

コロナ禍がつづき、なかなか新規の取材旅が出来ずにいますが、昨年末に訪れていた九州を蔵出しして、今月~来月にかけおおくりしようと思いますニコニコ

 

・今回の九州シリーズですが、前々から再訪したいと思っていた熊本に、昨年末、9年ぶりに行ってきました(※前回は2012年の九州シリーズ)

(※取材は、緊急事態宣言の前、昨年12月中旬です)

 

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・前回訪問の後、熊本では2016年に大きな地震に見舞われたほか、熊本県全体で近年、豪雨の被害に度々遭われています。心からお見舞い申し上げるとともに、コロナ収束後に熊本が再び賑いを取り戻すよう願って、当別荘で再び取り上げさせて頂きます。4作シリーズになろうと思います、宜しくお願いしますしっぽフリフリ

 

・その4回の内訳ですが、1回目の今作は、今回の旅でゲート空港となった福岡空港を起点とし、復興がすすむ『熊本城』を、第2~第3回目は鉄道モノ(※豪雨被害に関係ある路線2線です)を、4回目は再び福岡に戻り、帰京の前に撮った小作を、各々予定しております、お楽しみに^グッド!

 

という事で、今作はまず、いつもの~

当別荘おなじみ、早朝の羽田空港出発です^

福岡へのフライトは大抵、多摩川上空から日本海側へと飛ぶルートをとります飛行機

約2時間、滑らかに到着、福岡・板付空港虹

一昨年までの九州シリーズ、鹿児島や北九州等の作が多かったため、福岡空港に降り立つのは久々ですグッド!

全国的な空港運営改革の波はここにも及び、昨年(2019)から民間運営に移管されたとの事クリップ

 

・なにより同空港で便利な点は、JR博多駅まで地下鉄でわずか2駅をいう激近アクセス、市街中心部の天神まででも10分程度という至便さ。西日本の空港は山の中や海上等、市街地から遠方にある所が多く、この近さは異例ですね・ヒヨコ

 

・そして地下鉄で天神へ、そこから~

タイトル通り、これから熊本へ向かうんですが、久々に西鉄に乗ってみたくなりw、西鉄福岡(天神)駅へ。大牟田まで西鉄に乗ることにしました^^男の子

九州唯一の大手私鉄、そのターミナルである同駅は、3線4面のホーム、そして広いコンコースを持つ終端駅ですフラッグ

ちょうどホームに停まっていた↑、太宰府線直通の急行目

この電車、太宰府ならではのラッピング車、『旅人』号桜餅

太宰府のシンボル”梅”が側面いっぱいにあしらわれている美しいデザイン^

・しかし、僕がこれから乗るのはこれではなく・・

毎時0/30分に天神を発車する、大牟田行の特急です宝石ブルー

(※'21.3のダイヤ改正で、昼間帯は急行化するとの事)

西鉄の看板車、3000系です。転換クロスシートが並びます(※いわゆる”バッタンコシート”)^^

天神を出た特急、筑紫平野をひたすら疾走しますDASH!

JRにはない雰囲気の”私鉄走り”、これを九州で体感するのもなかなかオツなものですw

約1時間、終点・大牟田へ到着フラッグ

かつて炭鉱で栄えた大牟田、終端部には↑、石炭のモニュメントがドリル

西鉄大牟田駅はJR大牟田駅と隣接していますが、西鉄とJRは軌間が違うため、相互乗入は出来ません(※JRは狭軌、西鉄は標準軌)

大牟田駅には線路を挟んで東西に入口がありますが、↑は東口です。こちらがメイン(表口)のようですベル

駅舎に入居している居酒屋チェーンの看板が、駅名の文字より10倍以上大きい(笑)あせる

広々とした駅前と立派な街並、現在同市は人口約10万人との事ですが、炭鉱全盛時代は倍の20万人程あったという事で、かつての栄華の名残を感じる大牟田駅前です・キラキラ

 

ホントは街ブラして詳しく掘り下げたい大牟田ですが、今作のメインテーマは熊本城という事で、又次の機会に譲ります^^

しかし、一つだけ今作で紹介しておきたいものが駅前にあったので、それだけ書いてから熊本へ移動しますかたつむり

 

・その「もの」ですが、↑と反対側の西口にありますリサイクル

↑西口です

メインの東口に比べるとチト地味な感じ^チューリップ紫

バスロータリーの脇に、意外なものを見つけたんです。

予備知識なしだったので少し驚きました。それは~↓

路面電車が駅前に鎮座!大牟田にあったの??

横にあった解説板には・・

↑によれば大牟田には、かつて路面電車が走っていたそうです。

 

1927(昭和2)年、大牟田電気軌道(株)により、大牟田市内約5kmで開業。その後同社は西鉄に合併され、1952(昭和27)年に休止されるまで、戦前戦中を通じて、炭都大牟田の足として活躍していました星

 

↑の保存車両・204号は、大阪・堺の木南車輌製造(株)によって造られ、大牟田市内線廃止後は福岡市内線等へ転属して引き続きしばらく活躍していたとの事。しかしその後、福岡市内線も廃止され、引退した204号は、山口県光市の図書館へ譲渡され、児童図書室として余生を送っていました本

これを知った地元有志の方々が保存団体を設立、大牟田へ里帰りを果たしたとの事合格

 

・この204号、現在もう存在しない車両メーカー・”木南車輌製造製”というのが大変貴重だとの事で、現地看板には「日本唯一現存」とありましたキラキラ

 

現地看板にあった↑、戦前の大牟田の街

電柱が立ち並び路面電車が中央を走る、まさに当時としては最先端の街並でした。石炭で活況にわいた往時が偲ばれる写真ですね・カメラ

車内も入れました。なぜか片側は木製のベンチが・・あせる

しかし、長年図書室として使われていた割には保存状態は良好に思えました。大牟田駅前移設に際しては、西鉄の工場で再整備をしたそうですレンチ

大牟田の輝かしい歴史の生き証人、地元の人々の熱心な努力によって見事保存された204号、駅前で木漏れ陽を浴び、今日も佇んでいます・クローバー

 

思わぬ寄り道となった大牟田、かなりネタ豊富な街とみました、また改めて再訪したいと思います^

 

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・さて今作の本題、熊本へ向かいます、隣のJR駅へ電車

広々とした構内と長大なホームを持つJR大牟田駅、まさに国鉄の薫りがそのまま残っているといって過言でありません。

かつては特急『有明』や寝台特急も多数停車し、福岡県の南の玄関だった大牟田駅ですが、石炭の衰退と新幹線開業により、賑いは過去のものとなってしまいました汗

(※新幹線・新大牟田駅は約7km離れたところにあります)新幹線

熊本行の電車が入ってきましたクマ

現在同駅で主に運用されているのは、鳥栖~八代間に運転される2両編成のワンマン電車。

12両以上の有効長がある堂々たるホームに停車するのは、わずか2両のワンマンカー電車

このギャップ、閑散とした光景がまさに、JR九州の厳しい現状を表しているといえますね・あせる

(※朝夕等には荒尾~博多方面へ直通の快速あり)

大牟田を出た電車は、ほどなく県境を越え熊本県入りハチ

↑は西南戦争の激戦地となった田原坂駅です。この駅と、日豊線側の”宗太郎越え”が、ともに九州の南北をわける地点という事になるでしょうか。僕は鹿児島線&日豊線に乗る時、この両峠を越える風景を眺めるのが毎回楽しみです^霧

 

そして~

熊本駅に到着!

降り立ってみると~

なんか駅の様子が違う・目

前回来た時に高架化工事中だった同駅、完成していましたドリル

おニューの熊本駅になってたんですw

コンコースのベンチには↑、くまモンが座っていました(笑)クマ

くまモン談:「はやくコロナ禍が収束して、観光客が戻ってきてほしいんだモン」wバナナ

駅舎も改築、新幹線駅にふさわしいつくりへリニューアル新幹線

(※同駅は、九州新幹線では数少ない在来/新幹線併設駅)

駅前広場では、まだ一部でリニューアル工事が続いていますモグラ

早速市電で市内へ!今作のメイン、熊本城へ直行しますw^

・熊本城、2012年の作、vol.127『くまもん微笑む街・熊本』で訪れていますので、今回2回目ですグッド!

(※余談ですが、原則”西暦奇数年”としていた九州シリーズ、この年の前後だけは2011、12、13年と3年連続で訪九していたんです)

 

・ご存じの通り、2016年の地震で大きな被害に遭った熊本城、地震後はどんな様子になっているのか、天守のすぐそばまでの観覧路が最近再開されたとの事なので、早速むかいます馬

石垣がみえてきました!久々の熊本城^

城入口の前に立つ↑加藤清正公像、地震前と同じく、眼光鋭く来訪者を迎えます目

駅からここまでは、9年前に訪れた時(※地震前)とほぼ同じ光景でしたが・・

城内に入ると、様相が一変します。地震の爪痕がそこかしこに残っていました。(※ここから後、地震被害の写真を掲載します。ご了承の上ご覧下さい。不適当と思われるかたは閲覧をおやめ下さい)

入口附近で早速目に入ったのが、崩落したままになっている石垣。

今も復興途上にある熊本城ですが、最近、天守近くまで行ける通道が開通し、間近で見られるようになったとの事。これから見学してみたいと思います。

チケット販売場所は・・

城内にある観光施設↑、”桜の小路”の中の案内所で購入してから通路へ向かってほしいとの事チケット

新しい通道完成により、天守へ向かうルートは地震前とは大きくかわっています。これからご覧頂きます。一緒に歩いていきましょう走る人

地震後、↑図のように、以前と多少異なる見学ルートが設定されましたが、”設定”というより、ルートそのものを造り直したんです。どういう事かというと~

案内に従って歩くと↑、天守がチラッと見えてきました

↑この新設された改札で、チケットのもぎりを受けますグッド!

そして~↑

真新しい階段を昇ると・・

お~~

2019年に出来た、新たな見学通路です。

こうなってたのか!

従来の、石垣の横を歩きながら天守へ行くのとは全く異なる、高架式の通路が出来ていました目

しかもこの通路、↑、橋脚部をよくご覧下さい。コンクリートでしっかりと根元を固められた基礎、いわゆる”仮設造り”ではありません。

今後かなり長期間に亘り、この通道を使い続ける予定である事がわかります。なぜなのか?というと・

通道から眼下に見える従来の道ですが、↑石垣があちこちで崩落していて現在でも危険な状態なんです。

この後ご覧頂く天守については、シンボルとして先行して復旧がすすんでいますが、城の敷地全体が完全復旧するのは約20年かかるとの見込だそうです。そのため、長期間使える構造の新見学路が必要になったという事です。

本丸御殿が見えてきましたが・・

建物下の石垣が崩落し、御殿そのものも中央部が歪んでいるのがわかります。2008年に復元オープンしたばかりの本丸御殿ですが、わずか8年でご覧のような痛ましい状況になってしまいました。

熊本城の特徴である↑、「武者返し」と呼ばれる石垣。

上にいくにつれ傾斜がきつくなり(※というか、ほぼ垂直になり)、侵入する敵も返してしまうという強固な守り。城主・加藤清正がはるばる近江から石工技術者を招聘し、造らせたそうです。

↑はその特徴が最も如実に表れ、観察しやすい「二様の石垣」で、この部分に関しては無事のようでした。

澄んだ空に映える、天守が近づいてきました^

天守の前方に見える石垣も崩落し、コンクリで仮固めされていました。

通道で階段が多い部分には↑、高齢者等に配慮してEVも設置されていました。前述の通り、復興には長期間かかるため、恒久的な施設として造られた事がわかります。

天守近くにある↑、5つの櫓が並ぶ一角ですが・・

櫓の外側にある濠に崩落する寸前で辛うじて免れ、現在このようにワイヤーロープで支えられ、崩落を防いでいました。十四軒櫓や田子櫓等、5棟とも国重文指定の貴重なものです。地震前は、すぐそばで見学できていました。

天守まで、まもなくです

通道は、本丸御殿の入口横へ誘いますが・・

本丸御殿の下には↑のような『闇(くらが)り通路』と呼ばれる地下道があり、地震前はここを通って御殿見学に行けたんですが、本丸御殿も大きく損傷したために未だ公開は再開されていません。

冒頭紹介した2012年の作に、この闇り通路を通って本丸御殿を見学した写真があるので参照して下さい(12.11.30up vol.127)クリップ

 

・そして、御殿の横を抜けると~

天守前の広場へ出ました!

天守の手前にあるのは、同城のシンボル的な木、イチョウですクローバー

ご存じのように、一名・銀杏城とも呼ばれる同城、↑の天守前にあるイチョウ大木は、加藤清正直々の手植えとも伝わります。

ここで、2012年の作と同じ事を書きますが、国鉄時代に博多~熊本間に多数運転されていた『急行ぎんなん』を思い出します^^電車

ちなみに、このイチョウの幹にある↑焦げ跡ですが、西南戦争の際ついたものだそうです。まさに歴史の生き証人、大銀杏です・

↑天守前の広場です。

天守そのものは復旧工事がすすんでいますが、地震前沢山の観光客で賑わっていた広場は立入が制限され、工事用の車が停まっているほかはガランとした空地に変わっていました・

美しい姿を取り戻しつつある、名城・熊本城キラキラ

この雄姿は、地震から力強く復興する熊本の姿そのものだと思います・

制限区域とを隔てるフェンスに、復旧工事の様子をきめ細かく記録した写真が展示されていましたカメラ

地震直後の天守の写真もありました。

上の写真ご覧の通り、戦後再建された天守躯体そのものは何とか地震に耐えたものの、瓦がほとんど崩落した痛ましい有りさまとなっています。

・熊本市では地震直後、市民向けにこの状態の天守のライトアップを行い、傷付きながらも倒壊せず立ち続ける姿に、市民は勇気づけられたという事です。

広場にあった売店・休憩棟も損傷したとの事で、その前に仮設テントがありました。↑テントに屋根瓦の塗装がされてるのに注目目

この春頃には(2021.4予定)、天守内部の再公開も始まるとの事です。コロナ禍が収まり、再びこの広場に賑いが戻る事を祈りつつ、一層の復興を祈ってあとにします・

往路と同じ通道を通って、桜の小路へ戻るんですが、途中さいごに紹介したい場所があります

↑”飯田丸”の看板がありますが、その先に見えるのは、石垣の上の何もない空地だけ。実はここに、地震前までは櫓・飯田丸が建っていました。飯田丸といえば・

↑です(※現地解説板の写真)

当時大きく報道されましたが、櫓下の石垣が崩落、しかし辛うじて右端1本だけ石垣が残り、櫓の崩壊を奇跡的に食い止めたんです。写真の通り、ホント『奇跡』としかいいようがないです・

現在飯田丸は丁寧に解体されて部材が保存されているとの事で、同じ場所での再建を目指して準備中との事です・キラキラ

 

・あと、熊本城といえば『宇土櫓』も有名ですが、この日の時点では近づく事は出来ませんでした(※宇土櫓は、前出の2012年に作で登場してますのでご覧下さい)

ご覧頂いた通り、昨今の通道完成や天守の再公開はいわば『復興のスタート』についたばかりという事であって、国特別史跡である同城跡全体の復旧が終わるには、約20年かかると言われています。地道な作業が今日も、熊本市の中心部で行われています・

また、本丸御殿等も復旧したら再訪したいと思ってます

城の前にある↑、形の整った感じのビル、これは~

熊本市役所ですビル

人口約70万(2021)、平成大合併により周辺町村を併合して政令市となった、文字通り九州中部を代表する都市ですが、この市役所、最上階に展望所があり一般も入れるとの事なので、行ってみます目

展望階は14F右上矢印

エレベーターで昇ると~

熊本市内が一望の下

2019年の九州シリーズ・北九州市のときも市役所に登って小倉城を望みましたが・・

勿論ここからも、熊本城を至近に見ることが出来ます

市役所についてはもっと取材しているんですが、そろそろ容量限界に近づいてきたので、この辺にしたいと思いますあせる

熊本の街に、夕暮れが近づいてきましたお月様

この後は、いつも熊本に来たらする定番の行動w、市電乗りまくり&下通ブラをしてから宿へ入りますニコニコ

(※市電については、2012年のシリーズでやってるので今回割愛します)

 

今作ここまでです!力強く復興する熊本城、僕も間近で見て勇気づけられました。僕は2012年の作で「復元の城としては日本一だ」と当時書いていましたが、今回改めて見ても全く同じ感想でした。地震に耐えたその姿は、むしろ魅力が増したとさえ思いました。

 

シリーズ次回ですが、冒頭の通り、次作から2作つづけて、九州を東西に横断する2路線(※豊肥本線・久大本線)を1作づつWo流にレポートして大完乗します。次作は豊肥本線です。お楽しみに^