各駅停車が優等列車との待ち合わせや通過待ちの際に入るのが、主に大きな駅に設けられている待避線です。
複々線化によって少し減りましたが、小田急でもこのような光景は多く見られます。

待避線が設けられている駅は限られますが、過去には廃止されて近くの他の駅に機能を移した事例があります。
小田急でこのケースに該当する3駅を、今回はご紹介します。

小田急で待避線を廃止した3駅

かなり昔から比較的最近まで、各線にこのような駅が存在します。
どの駅も待避線があった名残はあり、よく見ると昔の風景が少しだけ見えてきます。

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まずは小田原線の柿生駅です。
元々は2面4線の駅であり、跨線橋の位置やホームの外側に昔の名残があります。

待避線は1977年まで使用し、廃止されました。
昔から急行は停車しなかったため、通過待ちをするのが日常の光景でした。
戦前からこの付近にあった唯一の駅であり、昔から栄えていました。

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続いては江ノ島線の南林間駅です。
こちらも元々は2面4線の構造で、昔からの急行停車駅でもありました。

不自然な空き地が残っていることや、駅の構造をよく見ると、待避線があったことを感じることができます。
待避線の廃止は平成になってからで、覚えている方も多いかもしれません。

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最後は多摩線の小田急多摩センター駅です。
この駅は複雑な歴史を辿っており、最初から待避線を設置するスペースは確保されていたものの、実際に設置して使用を開始したのは1985年のことでした。
当時はまだ多摩線の終点であり、車両を留置することが主な目的となっていました。

その後も待避線としての使用はほとんどされず、2006年に廃止されました。
現在もスペースはそのままとなっているため、線路がなく柵があるといった状態になっています。

待避線を廃止した理由

細かい理由は若干異なりますが、どの駅も待避線が廃止された理由はある程度共通しています。
それは、近くの駅に待避線の機能を移したという理由です。

柿生は新百合ヶ丘と鶴川、南林間は相模大野と大和、小田急多摩センターは唐木田にその役目を譲っています。
そして、柿生と南林間については、10両を停車させるためにホームを延長する際、待避線を残すのが難しかったという理由もあります。
見方を変えれば、ホームを延長するために、近くの駅に機能を移したという面もあります。

柿生と南林間には違った共通点もあり、昔から主要駅として栄えていたものの、近くの駅がそれ以上に発展し、主要駅としての機能が移っていったのです。
このような事例は各地で見られますが、小田急の場合は待避線が廃止されてしまったことで、見た目にもおとなしい駅に変わっています。

おわりに

待避線がなくなり、電車が長く停車することがなくなったこれらの3駅。
昔の光景を知っていると、少し寂しい印象もありますね。