人吉鉄映会です。
昭和41年(1966年)は肥薩線川線(八代-人吉)にとって大きな転換期になりました。
肥薩線川線は戦後から8620型蒸気機関車が貨物列車や客車を牽引していました。
68641[人]肥薩線上り812レ(人吉-八代) 球磨川第2橋梁
昭和39年(1964年)9月
68624[人]肥薩線下り 大坂間(現球泉洞)-那良口
昭和39年(1964年)9月
68641 肥薩線上り862レ 人吉-西人吉
昭和40年(1965年)10月
この頃の人吉機関区に在籍していた蒸気機関車はD51(肥薩線山線(人吉-吉松))と8620(肥薩線川線・湯前線)でした。昭和41年になると肥薩線川線用にC型テンダー車が導入されました。
C55 3 昭和41年(1966年)1月31日 吉松区より人吉区へ転籍(但し翌年10月にはまた吉松区に戻っています)
C55 3 昭和41年(1966年)1月31日 転籍当日 人吉機関区
C55 10 昭和41年(1966年)2月1日 吉松区より転籍
C55 10 昭和41年(1966年)2月1日
転籍当日 人吉機関区
C55 39 昭和41年(1966年)2月3日 吉松区より転籍(しかし翌月休車となりそのまま5月31日廃車になった)
C55 39 昭和41年(1966年)2月3日
肥薩線上り860レに引かれ有火回送中
大畑-人吉(山田川橋梁)
C55 19 昭和41年(1966年)2月5日 宮崎区より転籍
C55 19 昭和41年(1966年)2月4日
肥薩線上り860レにて回送
人吉駅手前
吉松や宮崎から人吉にやってきてますが、自力走行や甲種移送ではなく、通常の列車の後方に連結されて「ついでに」持ってきたようです。
こうやってC55そしてC57が人吉区に配属され今後川線で活躍するようになりますが、同然その分機関車はだぶついてきます。
大正生まれの8620は湯前線用を除き休車、廃車の憂き目にあっていきます。
58624
大正11年(1922年)5月製。昭和5年(1930年)5月30日より人吉在籍。昭和41年(1966年)2月4日休車。 同5月31日廃車
78652
大正13年(1924年)9月製。昭和9年(1934年)11月30日より人吉。昭和41年(1966年)2月4日休車 同5月31日廃車
58624 休車 一勝地駅
昭和41年(1966年)2月10日
78652(前)・58624 休車 一勝地駅
昭和41年(1966年)2月10日
78685
大正14年(1925年)2月製。昭和20年(1945年)10月16日人吉転籍。昭和41年(1966年)2月6日休車。同5月31日廃車
78685 休車 人吉 煙突に封止あり
昭和41年(1966年)3月24日
かくして肥薩線川線は世代交代が行われました。
C55 24 肥薩線上り 人吉-西人吉
昭和41年(1966年)4月12日
ちなみに日本で一番有名な蒸気機関車(・・と個人的に思っている)58654号は昭和43年(1968年)に若松区より人吉に転籍しているため、この時点では人吉にはいません。つまり58654の人吉での主戦場は湯前線であって、観光列車になってから川線を走るようになったんですね。
今回もご覧いただきありがとうございました。
令和2年豪雨で被災された方にお見舞い申し上げます。
コロナが収束していない状況です。
皆さんお体ご自愛ください。
頑張ろう! 人吉・球磨・芦北・八代
祈 復旧!! 肥薩線・くま川鉄道