新飯塚にとうちゃこ。

ここから後藤寺線で田川後藤寺に抜ける。廃線になったり3セクになったりして路線は随分と減ったがこの筑豊も鉄道の密度が高いエリアである。その昔炭鉱が栄華を誇っていたという歴史的背景により国鉄時代はそれこそ毛細血管のような鉄道網が敷かれていた。ここがあったから運賃計算における福岡近郊区間があるわけである。今でこそ仙台近郊区間とか新潟近郊区間とかあるけど昔は東京・大阪・福岡の三つだけ。東京や大阪の場合は都市部の入り組んだ区間なわけだけど福岡の場合は都市部ではなく完全に筑豊の炭鉱エリアが中心。まぁあんだけ入り組んだら切符を売るのにもいちいち経由地を聞いていられない。炭鉱があったから人が住んでいたエリアなので炭鉱が閉山されると人口も減る、石炭輸送もなくなるということで現在はこれでもだいぶシンプルになった。

というわけで列車は田川後藤寺に向け出発。いや~やっぱキハ40系はいいですな。ガンガンガンガンガンガン、ブロロロロロロォォォォォ~!!!!というエンジン音が旅情を掻き立てる。しかし九州のキハ40系はよくわからん。僕が乗るこの車両はキハ140形。まぁキハ40形を改造したのがキハ140形でキハ47形を改造したのがキハ147形なんだろう。

列車は下鴨生にとうちゃこ。

その昔、漆生線が分岐していた駅である。

ここで列車交換。昔はどんな感じだったんだろうね。漆生線が廃止されたのは僕が小学3年生の頃。まだ路線図を見てニヤニヤするようになる前の話である。

そして列車は船尾にとうちゃこ。この駅、僕は大好きだ。石灰くさくてそこら中石灰だらけで初めてここに降り立った時はほんとびっくりした。それ以前に乗り潰しで初めてここを通った時も度肝を抜かれた。なんか工場の中を列車が走り抜けるというかなんか仮面ライダーが怪人と戦うような採石場みたいな場所に線路が通っているのがなんか異様な感じがして「あの駅に降りてみたい!」と思い数年後に再訪したのである。

当時はまだ駅舎があってね。いい味を出してた。

しかし船尾の駅をこんな時間に通る日が来るとはね。いや~楽しいわ。

これ、1年前に来た時の写真。

駅前がこんな感じ。

これ現役の工場です。

皆さんにもこの駅には一度来ていただきたいと思う。

なんとも非日常間を味わえる駅である。

そして列車は終点の田川後藤寺に到着した。   続く