小雪舞う京都駅を出発する113系の西明石行き京阪神快速。

先頭車のクハ111は湘南色ですけど、次位のモハ113とモハ112はいわゆる 「新快速色」 。でも、新快速ではないというのは在阪鉄道ファンなら説明する必要はないと思います。誤乗しないかなという老婆心も湧きますが、塗り替えもさることながら、冷房改造もされているので、遅かれ早かれ阪和線に転じる車両でしょう。早期に改造を終えた鳳電車区転属組が試運転を兼ねて営業列車に繋がれた、ま、そんなとこでしょうか。それともまさかの「出戻り」 ? 阪和線で使用されていた車両が京阪神快速に舞い戻ったのでしょうか? この頃 (撮影は昭和51年だそうです) 、阪和線は旧形国電置き換えで103系を新製あるいは首都圏からの転配で配置させたり、新快速用に113系を受け入れたりと新性能化を進めていた時期ですので、出戻りというのはちょっと考えにくいですね。

 

ところで、関西急電に端を発する京阪神快速ですが、新快速が登場するまでは京阪神間の速達列車として並行する私鉄と競っていました。

そして、画像の列車は判らないのですが、グリーン車も連結されていました。殆ど、空気を運んでいるだけだったようですけど。

 

 

これは、昭和51年当時の京都-西明石間における速達列車の停車状況です。実際は昭和47年10月現在のを引用していますが、それほど変わっていないと思われます。△印は一部停車、○印は日中は全列車停車、朝夕の一部列車は通過という意味合いになります。後で判ったことですが、姫路発着の新快速の一部は西明石を通過する列車もありました。

当時の新快速は、新幹線接続という使命は帯びておらず、あくまでも 「私鉄に打ち勝つため」 の列車なので、新大阪は全列車スルーしていました。

近年は新快速の停車駅が増えすぎたため、快速の立ち位置が中途半端になっちゃったのは否めません。しかも同じ223系と225系 (たまに221系) を使用しますから、前面の種別を見ないと新快速だか快速だか判らないのが実状です。快速も必要という方もいらっしゃるとは思いますが、 「いっそのこと、普通と新快速の二本立てで良いのでは?」 とは在京の論です。その分、普通列車を10両編成にするとかね。

 

 

【画像提供】

ヤ様

【参考文献・引用】

日本鉄道旅行歴史地図帳 第9号 「大阪」 (新潮社 刊)

国鉄監修・交通公社の時刻表 1978年8月号 (日本交通公社 刊)