1989年8月22日の撮り鉄日記
(この日記は1989年8月22日の内容だが、ブログ投稿は2021年2月1日)
1989年8月当時の俺は16歳(高校2年生)
この日は、前日の夜の快速『ムーンライト』で出発した。
当時は『ムーンライトえちご』という名前ではなく、『ムーンライト』という名前だった。
165系[新カヌ]のアコモ改善車だった。
青春18きっぷで行ったので、快速『ムーンライト』の中で日付が変わるので、
カレチに日付を入れてもらった。↓
↑ 当時の青春18きっぷは1日分が1枚ずつになっている常備券だった。
早朝、5:48に新発田に着いて、
そのあとの普通列車で佐々木へ…
当時は165系の普通列車が白新線にはバンバン走っていたが、
この時、佐々木駅でたまたま撮ったのは115系の一次新潟色だった。
↓
当時は、115系の一次新潟色はありふれていた。
佐々木駅で記念に硬券を買った。
このときは、結局、佐々木のカーブへは行かなかった。
今思えば、このときに佐々木のカーブに行って、165系を撮っておけば良かった。
このあと、青海川へ移動。
青海川駅から、鯨波方面に歩いて行くと、
キーウェストとかいうレストランがあって、そこで、
ジャワカレー🍛食って、アイスコーヒー飲んだ。(昼食)
この時点で11:30頃
信越本線 青海川~鯨波の撮影地は、海バックで列車を撮るのが定番だが、
俺は素直に海バックで撮らないで、
海を手前に入れて撮れる撮影地はないか?と探した。
海のほうへ行って、岩とかよじ登ったりして、いろいろ探した。
結局、海の岩場から撮ることにした。
周囲には海水浴客が泳いでおり、なんかすごい場違いな感じだった。
ちょうど岩がイスくらいの高さで、長時間座るのにはちょうど良かった。
陽射しで暑いので、カメラに本を被せて、カバンも熱くならないように傘を被せたりした。
列車を待っている間は、学校から出されている宿題の本を読んでいた。
途中で、荷物を一旦しまって、上の売店まで飲み物を買いに行ったりもした。
また、撮影地に戻って、同じ所で撮影した。
帰りも青海川駅へ
(鯨波駅のほうが近いのに…)
さっき、昼食を食った店に入って、夕食にしようと思ったが、もう閉まっていた。
もう、あたりは真っ暗になってしまい、青海川駅に向かって降りる急な斜面は道が暗くて危なかった。
青海川駅に列車が停まっているのが見えたが、そこからではどんなに走っても間に合いそうな距離ではないので諦めた。
すると、列車は2時間後…
(この時点で20:00頃)
公衆電話でうちに電話。
当時は未成年だったため、テツなどで外泊する際は家に電話して親に言っていた。
待合室で、宿題の本を読んでいると、虫がたくさん飛んでおり、
蛾も飛んで来るし、ゴキブリもいてイヤだったので、
駅のホームにしゃがみ込んで読んでいた。
すると、背中にドンッ!と何かが乗っかった。
慌てて振り落とすと、それは大きなバッタだった。
やっと22:03、電車に乗った。
それが最終電車だった。
直江津へ…
翌朝、有間川の海バックの俯瞰で、始発電車から撮影するつもりなので、
始発列車で行くのではなく、
直江津から歩いて有間川に行くと決めた。
10kmくらいだし、歩けるだろうと…
夜中の2時まで、直江津駅の待合室で、半マルヨ。
当時の直江津駅は、夜行列車の発着がいっぱいあったので、深夜でも待合室を利用することができた。
話は翌日のエントリーへ続く…