皆様こんにちは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

前回はキハ53 1000番代の増設側運転台の種車についての考察を開始しました。まずは1001について考察しましたので、次は1002を見てみたいと思います。

 

↑キハ53 1002の後位側です。全然関係無いですが背後に写っている419系電車も懐かしいです…。

 

↑この車の乗降ドア脇の手すりを見てみますと、側面写真が無くて見づらいですが赤矢印が乗降ドア脇手すり下端で、黒矢印が乗務員ドア手すり下端です。これを見ると乗降ドア脇手すりは短くなっています。そして、幌枠に切れ込みがあるため新潟鐵工製ではありません。すなわち日車or東急製になります。

 

前回のおさらいで1986年度に金沢局で廃車になったキハ58系を見てみます。

 

キハ28

34:1986/6/16 敦賀 帝車

65:1987/3/10 敦賀 東急 非冷房

66:1987/3/10 敦賀 東急 非冷房

116:1987/3/10 七尾 東急 非冷房

2090:1987/1/14 七尾 帝車

2092:1987/1/14 敦賀 帝車

 

キハ58

6:1987/1/14 七尾 新潟

26:1987/1/14 七尾 日車

70:1987/1/14 七尾 富士

71:1987/1/14 七尾 日車

99:1987/3/10 富山 富士 非冷房

121:1987/1/14 七尾 新潟

171:1987/1/14 七尾 富士

238:1987/1/14 七尾 新潟

261:1987/1/14 敦賀 富士

 

これを見ると種車として考えられる東急・日車製はキハ58 26とキハ58 71しかいません。

 

キハ58 26は「57-11改正」で亀山から美濃太田に転じたのち、「59-2改正」で七尾へ転じた車でした。現在のところ亀山時代の姿しか発見できておらず、しかも亀山時代は前面補強施工前なので何とも評価できません。ただ亀山時代はれいの渡り板のヒンジが旧型になっており、写真のキハ53 1002の後位側は新型です。これはキハ58 26が種車では無い事を意味するのか、それとも後に新しい渡り板に交換されたかは不明です。

 

次にキハ58 71ですが、これは長く九州にいた車が長崎本線電化に伴い1976年に長崎から名古屋へ転じ、その後美濃太田へ移動した後「59-2改正」で先のキハ58 26と同様七尾へ転じた車でした。名古屋時代の姿が発見されており、名古屋在籍の時点で名工タイプの前面補強が施工されています。キハ53 1002後位側を見る限り松任タイプの前面補強が施工されており、この時点でキハ58 71が種車である可能性はひくいと考えられます。

 

このように、消去法で行くと「キハ58 26」がキハ58 1002の種車になる可能性が高そうですが、先の貫通路渡り板の件もありますし余り納得行っていないのが正直な感想です。しかし他に廃車になった車もおらず、これ以外に考えられないのが事実です。せめてキハ58 26の晩年七尾時代の姿が発見できればもっと進展するのですが、さらなる調査が必要ですね。相変わらずキハ58系の考察は奥が深く、難しいです。

 

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。それでは次回もお楽しみに!!

 

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