「大垣夜行」を今さら語る | 書斎の汽車・電車

書斎の汽車・電車

インドア派鉄道趣味人のブログです。
鉄道書、鉄道模型の話題等、つれづれに記していきます。

 いささか旧聞に属するかとは思いますが、『ムーンライトながら』がついに廃止となるそうです。

 とはいえ、私はこの列車には乗ったことがありませんし、前身の「大垣夜行」にしても、最後に乗ったのはもう随分昔のことになります。やはり年を重ねるにつれ、体力的に「座席夜行」はいささかきつくなっていたのでしょう。

 

 ただ、『ムーンライトながら』の廃止を知る直前に、偶然別の調べ物のため読んでいた昔の鉄道雑誌に、「大垣夜行」のさらに前身となる列車の廃止話が出ていまして、少々びっくりした次第です。

 

 「大垣夜行」の前身は、143レ・144レという、東京と大阪を結ぶ客車列車でした。この列車が、気づけば東海道線最後の客車による長距離普通列車となっていましたが、昭和43(1968)年10月改正で廃止される予定でした。

 ところが、廃止の話が出た途端、これに反対する声が高まりまして、当時の石田国鉄総裁(あの「粗にして野だが卑ではない」総裁です)の判断で、この列車は残ることになりました。ただ、客車列車として残すわけにもいかず、電車化されるとともに、運転区間も東京~大垣(下り列車は当初はさらに美濃赤坂まで運転)となり、以遠の旅客は乗換となりました。列車番号も、当初は143M・144Mと客レ時代を踏襲していましたが、後に347M→345M→375Mという風に、300番代となっています。

 

 「大阪夜行」が「大垣夜行」となって残った理由ですが、若者や鉄道ファンの声に応えたというだけではなかったようです。先に述べた当時の雑誌記事には「マルキュウ列車」なる表現があります。何のことかといえば、この143レ・144レは「マル救切符」と通称された、生活困窮者を対象とした乗車券(普通列車のみ半額で乗車できた)を持つ乗客に愛用された列車だったのです。当時は高速道路も全通前であり、安く旅行するなら国鉄を利用するしかない時代でした。

 

 それから半世紀以上が経ち、現在では東京と大阪の間を安く移動したいなら、恐らく夜行バスを選ぶでしょう。『ムーンライトながら』は特急用車輛を使用しており、かつての旧客のボックスシートとは雲泥の差のはずですが、それでも姿を消すのはやむを得ないところでしょう。それにしても、「コロナ禍」で「お別れ運転」もなしというのは、残念な気もします。