先日、大垣夜行こと「ムーンライトながら」の運行終了が発表されました。季節臨になって久しく、昨年からはコロナ禍の影響による需要減で運行できていなかった状態でした。サヨナラ運行は発表されておらず、「あけぼの」みたいに「昨年の運転で終わりました」でそのまま消えてしまうことになりそうです。


 深夜を普通列車や快速列車が数百キロ夜を徹して走るなんて効率重視の今の運行では考えられませんが、私が産まれた昭和50年代は大垣夜行の他にまだ「ながさき」「山陰」など数本残っており、優等列車から引退した10系寝台車が最後の活躍をしていました。


 大垣夜行はそれら地方の客車夜行と違い、寝台車は連結していませんでしたが、グリーン車は設定されていました。使用車両が急行車(後特急車)だったため普通グリーン車の料金でサロ165に乗るという贅沢ができたそうです(ちなみに私は大垣夜行のグリーン車に乗ったことがありません)


 「ムーンライトながら」の愛称が付いてからは373系モノクラス9両編成になり、2007年からは全席指定となり、以前のようにデッキや通路で人が寝ていてトイレも行けないなんて状態は無くなりました。その代わり、夜行普通列車の役割の一つだった東京近郊・名古屋近郊での始発・最終列車の役割が薄くなり、短距離乗客への利便性が減りました。 


 この頃には増便として189系運行による臨時便も運行し、「ムーンライトながら」は快速ながら特急格車両使用が定着しました。


大垣夜行も利用したことはありますが、学生時代を名古屋で私が1番お世話になったのは373系時代です。新幹線の特急料金を節約するだけでなく、帰りの仙台にはお昼頃、行きは夕方発って早朝に名古屋に着くので1日有効に使えるというのが大きなメリットでした。20歳前後だから出来た芸当で、今なら帰宅してばたんきゅ~でしょう。鈍行12時間は40代にはキツい。トータルで7~8回乗ったと思います。


 卒業すると仕事で東北と関東を移動しましたが、それ以降ムーンライトながらに乗ることはなく、廃止を迎えてしまいました。もちろん、189系、185系時代は乗っていません。


 夜行バスがこんなにも走り回っているのに夜行列車は衰退の一途を辿り、とうとう大垣夜行も消えてしまいました。

  交流電化の宮城野旅客鉄道には当然大垣夜行はいません。しかし、歴代の車両は在籍しています。

185系(踊り子)


165系と373系(特急東海)

  名古屋や関東に住んでいたこと、今のように東北本線系統にこだわりがなかったことから、東海道本線系統の車両もそれなりにいます。なんと言っても大量に出回っていましたから。


 何故か縁もゆかりも無い北海道の車両や関門電機もいたりします。


 話が逸れましたが、大垣夜行とムーンライトながら、本当にお世話になりました。そして長い間お疲れ様でした(;_;)/~~~