旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

悲運の貨車~経済を支える物流に挑んだ挑戦車たち~ 二兎追う性能が仇になった冷蔵車・レム400【2】

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〈前回からの続き〉 

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 レム400はレム1と同様に、冷蔵車は繁忙期と閑散期における利用の差が激しいことから、閑散期には有蓋車として運用できることを前提に開発されました。また、空車返送時にも可能な限り一般貨物を積載して、効率的な輸送を目論んでいるのでした。

 レム1の失敗をもとに、レム400には様々な改良を加えました。

 断熱材にはアルセルボードに代わって、断熱性に優れるグラスウールを使いました。試作車では扉構造を冷蔵車に向いている開き戸を採用した車両もありましたが、有蓋車として使用するときに使いづらいこともあり、量産車では引き戸を採用しました。保冷性を高めるために、可能な限り密閉できる構造にしたことで、熱貫流率も0.8にまでなるなど前作であるレム1と比べて性能も大きく向上したのでした。

 

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レム400形式図 出典:国鉄貨車形式図・1971年版

 

 しかし、これでも冷蔵車と比べてレム400の保冷性能は満足のいくものではありませんでした。代用材を多く使ったレ6000とほぼ同じ性能は確保できたものの、これ以後に登場し同時期に作られていたレ12000の熱貫流率は0.44と比べると大きく見劣りのするものでした。

 レ6000とほぼ同じ保冷性能であれば、レム400でも十分にその役割をこなすのではないかと思われます。たしかに、保冷性能を示す熱貫流率の数値だけ見ればそのとおりで、レム400でも冷蔵車として十分にその役割を果たせたのではないかと考えられます。 

 ところが、現実にはレム400が登場した1960年代には鮮魚の輸送方法も変わっていて、従来は単に冷蔵状態で出荷していたものが、この頃には鮮度を保つために冷凍状態での出荷となり、しかもその輸送距離は伸びていく一方で、レム400の保冷性能では冷凍状態の鮮魚を長時間載せて運ぶことは難しかったのです。

 このため、保冷性能が高いレ12000や、後に登場する重保冷冷蔵車のレム5000は荷主となる漁業関係者から人気で、繁忙期ともなれば言葉通り「取り合う」状況だったと言われています。一方、レ12000やレム5000がひっきりなしに走り回るのを横目に、レム400は荷主から忌避されて利用されず、レム1と同様に側線に留め置かれたままという状態が多く見られたのでした。

 レム400は試作車を含めて総勢で703両がつくられました。このことは、国鉄がいかにレム400に期待していたかが窺われます。しかしながら結局は、国鉄は目論んだとおりとならず、レム400もまた冷蔵者としては中途半端な性能であったが故に、荷主から嫌われてしまい使えってもらえない存在になってしまったのでした。

 こうなると、国鉄もレム400の処遇に頭を抱えてしまいます。いくら荷主から人気がなく、ほとんど使われることなく側線で留置された状態であったとはいえ、700両以上もつくられた貨車を製造から短期間で廃車にすれば、当然ですが会計検査院が黙ってはいません。

 国鉄にとって、会計検査院による検査は非常に神経を遣っていたようで、このことは後年に分割民営化された後も、国が出資する特殊法人であるJR各社もまた、会計検査院の検査には神経を尖らせていました。筆者も貨物会社勤務時代に、区所の資材管理担当者の指定を受け1個数十円の電球から1台数十万円もする電気転轍機まで管理したことがありましたが、消耗部品を発注するために起こす伝票1枚ですら間違いがあると、検査で指摘を受ける恐れがあると教えられたものでした。本社や支社の財務担当もまた、不明瞭な発注伝票などがあると、その度に電話で説明を求められ、年1回は支社の財務部から担当者が区所にまで出向いてきて、資材の管理状態や伝票の保存状態などを検査しますが、やはり言葉の端々には会計検査院のことが出てくるほどだったのです。

 そういったこともあって、簡単に廃車にすることは難しく、かといって使われないまま放置しておけば、これもまた指摘を受けるという、どっちに転んでも厄介ごとしかない車両になっていたのでした。

 それならばと、もともとが有蓋車とも兼用させる設計だったので、レム400を冷蔵車としての運用を取り止め、有蓋車としての運用だけにすれば活用の道があると考えたのでした。こうして、レム400の一部は、塗装を冷蔵車の白一色から、一般的な他の貨車と同じ黒一色に塗り替え、通風口は空いた状態の固定するという軽微な改造を受け、100両のレム400は有蓋車に編入されてワム400として生まれ変わったのでした。

 その後、レム400のまま残った600両は製造開始から7年しか経っていない1967年には早くも廃車の方針が決まり、1974年までにはすべてが廃車解体されてしまいました。最長でも14年しか経ってない、貨車としては異例ともいえる短命で終わりを迎えたのでした。この14年もまた、鉄道車両減価償却期間が13年なので、これが終わるのを待っての廃車だったと思われます。

 一方、ワム400に改造された車両拉致は、自らの出自となったレム400が廃車されていくのを横目に、その後もしばらくは使用され続けました。有蓋車としてはとりたてて問題になるようなことはなかったようで、1979年までにすべてが廃車となり形式消滅しました。レム400よりは長いとはいっても、その差は5年しかなく、どれだけ長くても19年での廃車は貨車としては短い部類に入るといえます。

 効率的な運用を旨として、冷蔵車としては失敗作になってしまったレム400。まさに、「二兎追う者は一兎も得ず」のことわざの通りに中途半端な性能が仇になり、結局先輩格であったレム1の経験も活かされないまま700両という大量増備されたものの、その多くが使われずじまいとなり、貨車としての本分を果たしきることなく廃車の憂き目を見たのは、まさに「悲運」としか言いようがないといえるでしょう。

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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