かつて平成28年まで、福岡県苅田町の日豊線小波瀬西工大前駅から苅田港駅までの4.6キロに及ぶ路線が存在しておりまして、その名を「苅田港線」と呼ばれた路線が存在しておりました。
この路線は、「苅田港線」という愛称となっておりましたが、実際は日豊線の貨物支線という扱いとなっておりまして、JR貨物の第1種免許区間でもありました。
かつては、石炭やセメントを苅田港から積み出すために運行されていた路線でもありましたが、その後は駅の近くにあります金属工場の完成品や、近くにあります日産自動車九州工場(現・日産自動車九州)で製造されました完成車をそれぞれコンテナに積んだ状態でこの駅から運行されておりまして、自動車に関しましては北陸地域の貨物駅(金沢・新潟)などに運ばれてもいたようであります。
そんなこの「苅田港線」では、画像の車掌車でありましたヨ8000形38000号車掌車を先頭にしましたいわゆる推進運転の列車も運行されておりました(廃車後の平成21年撮影)。これは、小波瀬西工大前駅での機回しができないためでありまして、ブレーキ弁などを設置する改造などを施してあったのが特徴でありました。
しかし、平成17年より貨物列車の運行が休止されておりまして、休止末期は1往復がこの区間におきまして運行されておりましたが、11年間の休止の末、平成28年10月に正式廃止されておりましたが、私自身もこれからご紹介します事によりまして廃止が明らかになっておりました。
それが、画像の「JR貨物時刻表」に書かれております路線図でありまして、以下画像は平成28年の「貨物時刻表」でありますが、画像のように「苅田港線」の姿を見る事ができております。尚、既に貨物輸送が廃止されておりました、厚狭駅から延びておりました美祢線、そして宇部駅から延びておりました宇部線に関しましても路線図からは削除されている事がわかります。
さて、ここからご紹介しますのは、残念ながら廃止されております「苅田港線」の姿を、休止から7年後の平成25年に撮影しておりました画像とともに皆様にご紹介してまいります。
まずご紹介しますのが、この訪問時に撮影しておりました「苅田港線」の姿であります。画像は、起点の小波瀬西工大前駅から数百メートル先の地点でありますが、この時も画像のように雑草が生い茂っておりまして、この時も休止から8年経過していた事を伺わせておりました。
こちらの画像は、国道10号線と交わる踏切であります。撮影当時は「廃止」ではなく「休止」の状態でもありましたので、この踏切をはじめ各地の踏切では画像のように機器類にカバーがかかっておりまして、今後の復活を予感させるような姿が見られておりました。しかし、踏切を通る道路は一旦停止をすることなく通過しておりまして、このような姿から休止となりまして長い事さえも伺えておりました。
国道10号線より先の部分の踏切より撮影していたものであります。この撮影時も画像のように雑草に覆われておりましたが、撮影場所の踏切にあたる部分では残念ながら線路が撤去されておりまして、その上に道路が舗装されているなど変化が見られておりまして、後述のようにこの先も踏切である部分を中心に線路が撤去されている所が見られておりました。
こちらの画像は、「苅田港線」ではかつて2箇所あったうちの1箇所の橋梁でありまして、この橋梁は「苅田港線」では一番長い橋梁でありました。この奥には、画像のように信号機も見られておりましたが、平成23年頃までは点灯していたそうでありまして、休止となりましてもいつでも来ていいような姿は見られていたようではあったようです。
さらに進みまして、県道25号線と交差する場所にある踏切であります。この撮影時には既に踏切は撤去されておりますし、加えまして線路まで撤去されているなど、この時点でも休止ではなく廃止なのでは?と言う姿が見られておりました。しかし、その後正式廃止となった訳ですので、それを予感させるような姿ではなかったかとさえも改めて思ったほどでもありました。
そして、こちらの画像は苅田港駅でありまして、以下画像は駅舎でありました。廃止となりました現在も、撮影時と同様、運送会社の営業所・倉庫として残されてはいるようですが、かつての駅としての姿はその下の画像にもあります線路だけがそれを物語っていたのが休止から経過している部分ではなかったかと思っております。
実は、この苅田港駅より先に専用線の線路が存在していた訳ではありましたが、これら専用線へ向かう線路は途中で寸断されておりました。実際に、この駅以外にもその先の専用線内にあります工場からの貨物が頼りでもあったようですので、線路が寸断されているとなりますと廃止やむなしなのかなと思ってならない所でもあったようです。
そんな旧「苅田港線」の現状は、TwitterやHPサイトによりますと、既に線路や信号関係は撤去されたとの事でありまして、廃止が明らかになりましてからはまさにあっと言う間ではなかったかと言う印象でもあったようです。確かに、休止となりましてからも11年が経過しておりましたので、廃止となりましたらいつでも撤去してもいい段階であった事には間違いなかったようではあったようですので・・・。