皆様こんばんは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

先日2021年1月21日の購入品のご紹介をしておりましたが、1つ残っておりました。

 

↓最初の記事はこちら。

 

残っていたのはこちらになります。

 

↑北海道好きな私としては、店頭に並んでいるのを見たら思わず手を出してしまいました。

 

またこれだけでは飽き足らず昨日仲間も増えましたのでついでに一緒にご紹介します。

 

↑キハ46といえばキハ48 300ですね。それと首都圏色のキハ47達です。

 

ウチにいるキハ40系達を振り返ると、JR化後の塗装変更車ばかりで国鉄時代の首都圏色の車は非常に少ない事に気づきました。首都圏色の車両を詰め込んだケースを開けると、キハ20系と少量のキハ40系、そして大量のキハ26に埋め尽くされていました…。

 

ということで、比較的手ごろな価格の商品を見つけましたので早速購入しました。

 

まずは先に購入していたキハ46から見てみます。

 

↑キハ46の2両セットです。キハ45系は信号炎管が屋根上にモールドされており、国鉄時代想定で列車無線アンテナを取り付けないようにしているので整備は簡単です。

 

早速整備後を見てみます。

 

↑北海道では紺地に白文字の「普通」が多かったのでこれを選択しています。あと整備点はタイフォン取付くらいでしょうかね。もちろんシャッター付きです。

 

キハ46は実車は6両しか存在せず非常に少数派でした。このような車がHGで製品化されるなんてすごい話です。これよりもより両数が多いのに製品化されない車はまだまだ沢山ありますが…。キハ56・27の200番代とか。

 

実車は1980年代は苗穂に5両・函館に1両おり、苗穂の5両は2連が2運用存在し函館の1両はキハの2連運用に紛れ込む形になっていました。函館の1両は神出鬼没で捕まえづらかったことでしょう。ただJR化直前に函館の1両は苗穂に転じ、苗穂の1両はJRに継承されませんでしたので苗穂5両体制でJRに移行します。キハ48 300が登場したこともあり次第にキハ46×2連の限定運用では無くなり、キハ27と混じってキハ56+キハ46などで使用されました。函館本線山線や札沼線などが主な活躍路線であったと記憶しています。しかし50系51型客車を改造したキハ141系が投入されると真っ先に淘汰されてしまいました。

 

↑首都圏色になってからはキハ40系に似た雰囲気になったキハ45系ですが、キハ58系モデルチェンジ車に似た顔ながら裾絞りの無い独特の雰囲気から混結されていてもキハ45系であることはすぐにバレました。

 

↑妻面を見てみます。実はキハ46実車の妻面写真は見たことが無く、この模型を信じるしかありません。この当時のデッキ付き車両にしては珍しく貫通扉が付いています。なおキハ58系の妻面には貫通扉はありません。妻面向かって左側は貫通扉の戸袋になるため下降窓は右側にしかありません。

 

キハ46はあまりバリエーションはありませんでしたが、唯一特異な車はキハ46 1で、なんとJR北海道色になっていました。同時期にはキハ56の近郊化改造車であるキハ56 148もJR北海道色に変更され、この2両が組むと妙な統一感がありました。当時は札沼線用などで3列座席化されたキハ40系もJR北海道色に変更されており、その流れの一環とも思われます。しかしキハ46及びキハ56の近郊化改造車全車には普及せずに終わりました。

 

限定品の大好きなTomixさんなので、このキハ46 1+キハ56 148の2両セットを発売したら面白いと思うのですが。旭川のキハ56青帯セットを「青帯B」まで出すよりよっぽど売れると思うのですがね。

 

さて、続いてはキハ40系の首都圏色の車を見てみます。

 

↑キハ40系は塗装変更車ばかり集めてしまいましたが、原形の首都圏色も良いですよね。

 

まずはキハ47です。

 

↑Tomixさんからは通常の0・1000番代のほか、新潟地区に投入された500・1500番代も製品化されています。まぁ台車以外に外観上差はありませんから再現するのは簡単だったのでしょう。新潟のキハ47は越後線・弥彦線電化しばらく後の「60-3改正」で番号の若い20両が他区へ転じ、四国・北九州・広島管内でも見られるようになりました。このうち模型のようなDT44A系台車を履くグループは北九州・広島管内で見られました。なので0・1000番代と混用しても問題ないでしょう。

 

↑Tomixさんからはキハ40系の寒冷地用も発売されていますから、キハ47暖地向けの台車だけ変えれば500・1500番代になりますね。これらも模型化されているのはさすがです。逆にキハ48には台車がコイルバネの0・1000番代もいましたがこちらは製品化はされていません。ただ台車交換することで再現できます。

 

なおキハ40系寒冷地用の台車は当初軸バネがペデスタル式のDT44系が採用されました。当時の国鉄型で客車以外にペデスタル式の採用は非常に珍しいと思います。しかしキハ40 117~、521~、キハ47 506~、1506~、キハ48全車からは軸バネが711系や201系に類似したウィングバネ式のDT44Aになりました。台車の形状はガラリと変わり別物のようになりましたがサフィックスの「A」が付いただけでした。なおさすがのTomixさんからもこのペデスタル式台車を履いたグループは模型化されていません。

 

話がそれましたが続いてキハ48 300を見てみましょう。

 

↑キハ46をご紹介した際に「6両しかいない」と書きましたが、このキハ48 300番代もたいがい少数派です。300番代は4両、1300番代は3両の合わせて7両しかいません。こんな車両がちゃんと模型化されるというのはキハ46もそうでしたが凄い事ですね。北海道型の威力でしょうか?? これだけ少数派の北海道型に力を入れる割にキハ56・27の200番代は出ないのですね…。

 

↑キハ46と並べてみました。似ているようで似ていない!?

 

幼少期の私は東海地区に住んでいたこともありキハ45系との接点は殆ど無く、今のように情報豊富な時代でも無かったのでキハ46なんて存在すら知りませんでした。そしてキハ48に似た、しかし何か良く見ると違う車を見つけて「何だこれは??」と思いコーフンしたのをよく覚えています。同じような例で幼少期に昔の夜行普通列車「山陰」の編成表を見つけて、「スハフ12+オハ12+…+オハ12+スハフ12+オハネフ12」と繋がっていて「オハネフ12!?、12系に寝台車なんてあったっけ??」と思いびっくり!、そして実車を見てその12系座席車と似ても似つかぬ外観に2度ビックリという思いをしました。12系座席車にぶら下がっており数字の「12」が揃っているのでなおさら混乱の元でした。今はスマホとGoogleで何時でも何処でも何でも調べられる時代なので、こういう自分的新発見に興奮するなんてあまり無いのでしょうかね…。

 

↑キハ45とキハ47も似ていますがあちらは窓が「上段下降下段上昇式」と「2段上昇式」と異なっているので雰囲気の差が大きいですが、キハ46とキハ48は窓のサイズも似通っているので本当に似た雰囲気です。

 

↑こう繋ぐとバレない?

 

↑少数派同士の組み合わせですね。外観上は似ていますが乗るとシートピッチや幅が異なるのでキハ46は窮屈な印象でした。

 

ということで今回は北海道の少数派、キハ46とキハ48をメインにご紹介しました。

 

北海道型の一般形気動車の代表と言えばキハ22ですが、Tomixさんから製品化されているのは0番台のみになります。キハ22は後年200番代の後期車ばかりだったので、こんなキハ46とかキハ48 300のような少数派を製品化するくらいならキハ22のバリエーションも出して欲しいという気もするのですがなかなか出ないですよね。キハ52では100番代前期型・後期型、塗装変更車では中期型も製品化されています。キハ22は製造次数によりドアや屋根上通風器の数に意外とバリエーションが多いので、次なる展開に期待したいです。

 

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。それでは次回もお楽しみに!!