康次郎が前衆議院議長と言う肩書を持っての政治力で牽制する。
対する東急は、こちらも五島の前運輸通信大臣と言う肩書を持って対抗した。
戦前から「官僚の東急」であり、官僚・政治力もある。
康次郎が政治力を駆使して東急の動きを抑え込め様とした事は逆に話をややこしくしてしまった。
その為、双方多数の政治家を巻き込み、揉めに揉める事と相成ったのである。
さて、五島はこの件に関してこう言っていた。
「私は少しも堤君と争う等の気はない」と・・・
大人的な模範解答である。
しかし、この一言は更に康次郎の神経を逆撫でた。
それは裏を返せば、
「康次郎等相手にならない。
歯牙にもかけていない」と言っているのである。
この争い時に君呼ばわりされた事にも癪にさわった。
その上、康次郎としては、
「今迄、散々これだけの事をしておいて、事もあろうに争う気はない等と!
よくまぁ、ぬけぬけと、どの口が言うか!」
とでも言いたかったであろう。
実際、五島は康次郎をそれほど脅威には感じていなかった。
東急・小田急連合が有利に進んでいたからである。
当時は頭上を飛んでいる蠅位にしか思っていなかったのであろう。
結局は政治を巻き込む事に依って、東急を牽制しようとした事は破綻する。
更に揉めに揉める結果だけが残った。
この記事は2015-01-27
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