先日、「ムーンライトながら」の運行は終了したとプレスが在りました。

 

臨時化されここ数年は18シーズンのみの運行と運行日が激減し廃止は

間もなくな雰囲気は在りました。

 

指定席化されてからは利用は少なく、思い出としては前任の大垣夜行(垣ドン)の

方が残っています。

その置き換え直前には急行「東海」と間合いの普通も置き換えられるので、上り372M

に乗り品川で折り返しを撮っていました。

 

昇ったばかりの朝陽を浴びる急行型。

サロも写っていますが、引退記念の帯が入ったのはこの直ぐ後、再訪したかったが出来ず。

96年1月13日 早川-根府川 325M

引き付けたら付属編成との顔同士も。

 

この築堤は今では植えられた桜が成長し列車が見えなくなったとか。

同 同 東海1号

 

そこそこ撮ってまた372Mに乗る為に大垣に戻る。

その途中に寄った田子の浦。

百人一首の一つが気に入り訪れたかった場所。

防波堤に座り、肉まん頬張りこの絵を撮りました。

 

この晩だったか前日だったかの372Mの車両は走行中に上段の窓が

勝手に落ちるは、窓側と通路側の気温が大きく隣の女性と席を入れ替わったり

となかなか強い想い出が残りました。

その二晩で使った18、当時はまだ一日一枚。

車掌に日付入れて貰ったので 列番も記入され良い記念。

グリーン券は違う時に使った物、満席ボックスとは雲泥の差ゆっくり出来た

想い出。

 

そして、乗り継いで日立電鉄へ。

96年1月14日 川中子-常陸岡田 30レ

小形の可愛い電車や気動車改造のゲテモノ的な電車と個性的な電鉄も

置き換えが始まっていました。

それも虚しく数年後には廃止されるとは想いもしませんでした。

 

午後には茨城交通へ。

この頃はキハ20系列が主力。

同 那珂湊

 

この後は温泉に入り、常磐線の二階建てクハに乗るハズが運休日で乗れず

残念。

 

で、今度はムーンライトえちごで飯山線を乗りに行ったのでした。