こちらは、昨年(2020(令和2)年)11月29日に、東武鉄道東武スカイツリーライン(伊勢崎線)のとうきょうスカイツリー駅で撮影した、200系の207Fによる、特急りょうもう43号(伊勢崎行き、伊勢崎りょうもう)🚃💺です。

りょうもう43号(伊勢崎りょうもうの往路)🚃💺は、浅草駅を19時39分に発車し、途中、とうきょうスカイツリー、曳舟、北千住、東武動物公園、久喜、加須、羽生、館林、太田、木崎、境町、新伊勢崎の各駅に停車してから伊勢崎駅(群馬県伊勢崎市)へと向かう伊勢崎線全線通しで運転される列車であり、伊勢崎発着のりょうもう号(伊勢崎りょうもう)は、翌朝の7時22分に伊勢崎駅を発車するりょうもう10号と合わせた1往復のみの運転となっています。

その前の運用は、太田駅(群馬県太田市)を17時58分に発車するりょうもう42号🚃💺であり、途中、足利市、館林、羽生、加須、久喜、東武動物公園、北千住、とうきょうスカイツリーの各駅に停車してから浅草駅へと向かうことになります。

佐野線の葛生駅発着のりょうもう号(葛生りょうもう)🚃💺は、浅草 20時39分発のりょうもう49号と、葛生 8時06分発のりょうもう12号の1往復であり、途中停車駅は、とうきょうスカイツリー、曳舟、北千住、東武動物公園、久喜、加須、羽生、館林、佐野市、佐野、田沼の各駅であります。

葛生駅のある場所は、栃木県安蘇郡葛生町となっていたけど、2005(平成17)年2月28日に安蘇郡田沼町と共に佐野市に編入されたことによって栃木県佐野市の一部となっています。

伊勢崎駅は、東武伊勢崎線の終着駅である1面2線の高架駅(東武鉄道)であり、2013(平成25)年10月19日に、新伊勢崎駅と共に高架化されていました。

JR東日本の両毛線部分は、2面3線(2番線と3番線は線路が共用、1番線と2番線が前橋、高崎方面乗り場、3番線と4番線が桐生、小山方面乗り場)であり、高架化されたのは、2010(平成22)年5月30日のことでありました。

どちらも地平駅だった2010年3月12日までは、南側にしかなかったJR線側の共通改札のみで、改札口を出ずに乗り換えることが出来ていました。

2010年3月13日に東武鉄道の仮駅舎が設けられていたことによって、改札口が分離され、2010年5月30日にJR両毛線部分が高架化されてから、2013年10月18日の高架化前日までの間は、地平に取り残された駅となっていました。

高架化された後の伊勢崎駅の東武線ホームは、6両編成のりょうもう号が発着することや、3両編成の電車を直列に2本夜間留置させる為にホームが7両分となっています。

信号開通メロディ(発車サイン音)は、以前山の音楽家が使われていたけど、現在は亜麻色の髪の乙女が使われています。

亜麻色の髪の乙女の原曲は、1968(昭和43)年2月25日にリリースされた、ヴィレッジ・シンガーズの曲であり、2002(平成14)年に島谷ひとみ氏によってカバーされたことで有名であります。

境町、剛志、新伊勢崎、伊勢崎の各駅のある群馬県伊勢崎市は、1940(昭和15)年9月13日に、佐波郡伊勢崎町、殖蓮(うえはす)村、茂呂村の合併により出来た市であり、2005年1月1日には、佐波郡赤堀町、東村、境町との合併(平成の大合併の一環)により、現在に至っています。

そのうちの境町、剛志の両駅は、境町だったところにある駅であり、合併により伊勢崎市の一部となっています。

伊勢崎の由来は、1561(永禄4)年に赤石郷の一部が伊勢神宮⛩️に奉られたことであり、伊勢の崎から伊勢崎と呼ばれるようになっているので、伊勢神宮⛩️との関連があると言われています。

神奈川県横浜市中区にある伊勢佐木町(横浜市営地下鉄ブルーラインの伊勢佐木長者町駅が周辺にある)は、伊勢崎(いせさき)とは異なり、いせざきと濁ることになっています。

小田急線の伊勢原駅のある神奈川県伊勢原市も、伊勢神宮⛩️との絡みがあったことが由来であります。

ペヤングソースやきそば(ロングセラー商品)でお馴染みのペヤング、ペヨングブランドの即席麺メーカーである、まるか食品は、伊勢崎市に本社、工場があるので、ペヤングソースやきそばが伊勢崎で製造されていることが分かります。

2003(平成15)年3月まで行われていた富士重工業(現、SUBARU(スバル))のバス車体製造(東武鉄道のバス事業→東武バスグループとの関連もあった)は、伊勢崎市にあった伊勢崎製作所(現在はSUBARU(スバル)の子会社である桐生工業の伊勢崎工場となっている)で製造されていました。

東武伊勢崎線の太田~伊勢崎間の途中駅は、細谷、木崎、世良田、境町、剛志、新伊勢崎の各駅であり、2006(平成18)年3月17日まで浅草~伊勢崎間で運転されていた直通準急(現在の区間急行)は、上記の各駅にも停車していました。

浅草~伊勢崎間の直通準急は、6両編成で、8000系のほか、10000系列や30000系も使われていました。

800型や850型は、東上線で活躍していた8000系の8両固定編成から2両のサハが抜き取られた後に3両編成ずつに分割改造された車両であり、伊勢崎、葛生寄りがMc車の場合は800型、その逆の場合は850型(館林寄りが前パン)であります。

種車は、801Fと851Fが8195F、802Fと852Fが81101F、803Fと853Fが8187F、804Fと854Fが8193F、805Fと855Fが81103Fとなっています。

200系りょうもうの207Fは、1997(平成9)年の東急車輛製造(総合車両製作所横浜事業所の前身)製で、かつて日光・鬼怒川特急に使われていた1720系(デラックスロマンスカー(DRC))の1781Fの足回り品が流用された編成であり、マイナーチェンジされた後期型の第一号編成でもあります。

この207Fに限り、有料急行りょうもう号(当時)の増発用として導入されていたので、翌年の1998(平成10)年に最後まで残されていた1800系の置き換えの時に9編成あった1720系(1700系からの更新車を含む)の足回り品が払底したことによって、唯一の完全新造車である250型が導入されたきっかけとなっていました。

このことは、西武鉄道の10000系ニューレッドアロー(現在は新宿線の特急小江戸号(西武新宿~本川越間)で使われている)で、2003年に導入された10112FだけがVVVF車として導入されていたことと同様であります。

西武10000系の10101~10111Fは、101系や5000系レッドアローの足回り品流用で製造されていたので、こちらもやはり、1720系の足回り品が流用された東武200系りょうもうに似ているところがあります。

207Fの種車となった1781Fは、1973(昭和48)年にアルナ工機(現、アルナ車両)で製造された最終増備車でありました。

1720系は、1991(平成3)年8月31日をもって引退していたけど、最後まで残されていた編成は、1721F(1960(昭和35)年製)と1771F(1971(昭和46)年製)であり、前者は208F、後者は209Fに足回り品が供出されていました。

1721Fの保存車のうち、東武博物館で展示されている車両は、モハ1721号車(浅草寄りの先頭車)であり、車体の一部が切断されたカットボディとなっていることに加え、現役当時とは異なる向きとなっています。

こちらは中に入ることや、座席💺に座ることも出来るけど、運転台の仕切りが見えるものに交換されているので、運転台の様子をガラス越しから眺めることが出来るのが嬉しいと思っています。

その一部にモケットが異なる座席💺が交ざっているけど、こちらは、ジュークボックス付きのサロンルームだったスペースが客席化された時に設けられた座席💺となっています。

埼玉県さいたま市岩槻区にある岩槻城址公園で展示されているモハ1726号車(東武日光、鬼怒川温泉寄りの先頭車)は、丸ごと1両展示され、土休日の時間内に限り中に入ることが出来ます。

群馬県みどり市にあるわたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線の神戸(ごうど)駅構内にある列車のレストラン清流(1720系デラックスロマンスカー(DRC)の中間車(モハ1724号車と1725号車の2両)が活用されている)🚃🍴で売られているやまと豚弁当🍱は、手拭い付きでユニークであるほか、日本一しょうゆブランドの岡直三郎商店(群馬県みどり市)による醤油だれや、フリーデン大平牧場(群馬県吾妻郡東吾妻町)のやまと豚🐖が使われていることが特徴であります。

レストラン清流では、舞茸などのきのこ類🍄が使われたメニューが豊富なので、山の恵みが生かされています。

赤城駅や神戸(ごうど)駅のある群馬県のみどり市は、2006年3月27日に、新田郡の笠懸(かさかけ)町、山田郡大間々町、勢多郡東村の合併により出来た市であり、声優・歌手の小倉唯氏の出身地でもあります。

隣の桐生市は、1921(大正10)年3月1日に山田郡桐生町の市制施行により出来た市であり、2005(平成17)年6月13日に勢多郡黒保根村と新里村の合併により現在の形となっています。

桐生市黒保根町(旧、黒保根村)にあるわたらせ渓谷線の水沼駅は、駅構内に日帰り温泉施設(水沼駅温泉センター)♨️があることで有名であり、列車の待ち時間を利用して入ることも出来ます。

そこでは、白瀧姫の贈り物 山うなぎ弁当🍱が売られているけど、山うなぎとは、わたらせ渓谷線の沿線の山の中で収穫される山芋(大和芋)のことであり、うなぎ並みのエネルギーを採取出来る(畑のうなぎである)ことから名付けられています。

水沼駅温泉センターの食事処であるわたらせ庵🍴では、山うなぎ御膳や山うなぎ丼のほか、桐生名物の桐生うどんとソースカツ丼がセットとなった「きりゅうどん」というユニークなメニューがあります。

水沼駅温泉センターの温泉浴場♨️は、男湯♨️🚹が1番線、女湯♨️🚺が2番線となっているので、珍しいなと思いました。

自分(しゃもじ)や友人のつか氏がよく行くような日帰り温泉施設♨️は、浴場と食事処🍴がセットとなっているのが基本であり、その場合には、温泉の入浴♨️を楽しんだ後に美味しい食事🍴やビールなどのお酒🍻を味わうことも出来ます。

同じ群馬県のJR前橋駅付近にある前橋温泉(まえばし駅前天然温泉)ゆ~ゆ♨️は、前橋駅から徒歩2分で天然温泉を味わうことが出来る施設であり、自分(しゃもじ)も行ったことがあります。

友人のつか氏も、そこに行った時に駅に近くて便利であることを語っていました。

自分(しゃもじ)は、1720系デラックスロマンスカー(DRC)に乗れずじまいとなってしまったので、東武博物館の展示車両に入って乗った雰囲気を味わいました。

ロマンスカーと言えば小田急というイメージが強いけど、東武1720系もロマンスカーと呼ばれていました。

自分(しゃもじ)は、小田急ロマンスカーと区別する為に東武1720系を単なるロマンスカーと呼ばないことにしています。

200系りょうもうのうち、初期型の201~206Fは、方向幕となっているので、撮影する楽しみがあります。

足利市駅は、栃木県足利市の中心にある駅で、1907(明治40)年8月27日の開業当時は足利町駅と呼ばれていました。

足利市は、1921(大正10)年1月1日の足利町の市制施行により出来た市であります。

足利市駅が高架化されたのは、1980(昭和55)年7月23日のことであり、昨年高架化40周年を迎えていました。

足利市駅付近を流れる渡良瀬川に掛かる渡良瀬橋は、今から28年前の1993(平成5)年1月25日にリリースされた、森高千里氏の曲「渡良瀬橋」の舞台となった場所でもあります。

曲中に出てくる渡良瀬橋からの夕日🌇はとても有名であり、2007(平成19)年には、夕日が見える場所に歌碑が建立されています。

この曲は、あややこと松浦亜弥氏などにもカバーされていました。

足利市駅の接近メロディーには、森高千里氏の渡良瀬橋が使われているけど、渡良瀬川を渡ったところにあるJR両毛線の足利駅では、渡良瀬橋が発車メロディーに使われています。

あーにゃこと水湊あおひ氏😸は、昨日母親(あにゃママ)🐈と一緒に秋葉原のChicken Place(チキンプレイス)🐓に行き、あーにゃ😸は鶏肉のフォー、あーにゃの母親🐈は、チキンカレー🍛を頼んでいたけど、あーにゃ😸は、鶏肉が柔らかくて美味しかった😋🍴💕と言っていました。

フォーとは、ベトナム料理(アジア麺)🇻🇳の一つであり、米粉で出来た麺(ライスヌードル)であります。

このことがあーにゃこと水湊あおひ氏😸のInstagram(インスタ)で話題になっていました。

Chicken Placeをチェックした時に、coco亀🐢のさゆ氏🧡がいいねしていたので、鶏肉がさゆ氏の好物だと思っています。

さゆ氏🧡が紹介してくれた亀有メンチの牛・豚・鶏の3種類のメンチカツで、鶏肉🐓のほうがさっぱりとしてて美味しかった😋🍴💕と言っていたけど、こちらは、鶏そぼろやつくねなどに使われているような鶏ひき肉が使われています。

今日(24日)は、高田馬場BSホールで、東京ステーション♪の小麦ぱんこ🐼、永綱紗良💙両氏が出てきたライブが行われていたけど、緊急事態絶望嫌がらせ宣言(セ)により行かれなかったのが残念でありました。

今週末も自分(しゃもじ)🐰がドルヲタ($ヲタ)活動出来なかったのが辛いです。

今週もまた、金土連勤(銀曜日と銅曜日)の後の日曜日の公休日(単休)であり、明日はまた仕事という連休にならない悪循環となってしまったことで残念な週末ならぬ終末となってしまいました。

自分(しゃもじ)🐰は、こういう時にドルヲタ($ヲタ)活動が出来なくなることが多い状態であり、緊急事態絶望嫌がらせ宣言により必然的にこうなってしまったのであります。

200系のほうは、250系を除いて足回り品を中心に老朽化が激しくなっているので、昨年11月9日に500系によるリバティりょうもう号が増発されたことにより、201Fが廃車となっていました。

201Fは、1963(昭和38)年製の1741Fの足回り品が流用された編成となっていました。

現在北館林荷扱所(渡瀬北留置線、群馬県館林市)に留置されたままであるけど、解体待ちだと思われます。

北館林には、廃車となった京成電鉄の3600形の3658Fが搬入され、解体されていたけど、昨年7月の廃車後に半年間宗吾車両基地に置かれたままとなっていました。

京成では、今日、17日に続いて3400形によるツアー列車が運転され、宗吾車両基地で撮影会が行われていたけど、緊急事態迷惑宣言下でも無事に行われていました。

東武200系の乗車、撮影はお早めにということになります。

このように、東武200系による伊勢崎行きのりょうもう号を撮影することや、それを話題にすることが出来て良かったです。