モハ52+クヤ16の高速度試験 | 書斎の汽車・電車

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インドア派鉄道趣味人のブログです。
鉄道書、鉄道模型の話題等、つれづれに記していきます。

 今回も雑誌の記事のお話となります。

 

 現在発売中の『鉄道模型趣味』(TMS)誌の2月号に、「時速120kmの木造国電」という記事が掲載されています。

 副題に「モハ52+クヤ16の高速度試験のこと」とあるこの記事の著者は、ベテランファンの宮澤孝一氏です。

 

 今から73年前の昭和23(1948)年4月に、「流電」ことモハ52が東海道本線(三島~沼津)で高速度試験を行ったことは、国電に詳しい方ならご存知のことと思います。昨年、阪和線時代のモハ52についてご紹介しましたが、その少し前ということになります。

 その高速度試験の電車に、当時高校生だった宮澤氏が乗っていたというのです。何でも、親しくなった大井工機部(のちの大井工場)の職員の方から誘われたそうで、部外者、それも高校生がそのような電車に乗ることができたというのは、やはり「旧き良き時代」だったのでしょうね。

 

 高速度試験列車は、モハ52002+クヤ16001+モハ52005という編成で、時速120km走行は可能か?というのがテーマだったそうですが、宮澤氏も回想されているように、当時の東京の電車好きにとっては、関西でしか出会えないモハ52に東京から比較的近い場所でお目にかかれるというのは、又とない機会でした。

 宮澤氏が乗車したのは、何と真ん中の試験車クヤ16001でした。その「狭い場所に立たされた」まま、三島を発車し、沼津へ向かったのだそうです。そして、この時の試験では時速119.5kmを記録したといいます。

 

 そのクヤ16001ですが、元は明治42年製の最初のボギー車「ホデ1形」という当時としても相当の骨董品で、木造、ダブルルーフ、測定用のパンタグラフと1軸の台車、出窓などを備えた珍妙な電車でした。宮澤氏によれば、木造車は一般に、動き始めと停止直前は車体が前後にわずかに「ゆがむ」のだそうですが、(宮澤氏は山手線サハ19、サハ25などで体験済みだったそうです)クヤ16はそれほどでもなかったようで、やはり高速度試験に向けて何らかの補強がなされていたのでしょうか?

 

 モハ52とクヤ16のコンビは、同じ年の10月にも、藤沢~平塚で台車試験にも使用されています。今度は様々な試作台車を履いたモハ63も加わっています。宮澤氏はこの模様も記録されていますが、試作台車を履いたロクサン形、模型で再現してみたくなります。また、大井工機部におけるモハ52の写真には、珍車「サル28」も写っていて、これも貴重です。

 

 実は今月のTMS誌には、いのうえ・こーいち氏の「マッファイの軽便機関車」、宮田寛之氏の「762mm軌間では最大級のミカド形とプレーリー形テンダー機関車」(鉄道ファンとしても知られた高田隆雄氏が設計された、朝鮮半島向けの大型ナロー蒸機の紹介)といった記事も掲載されています。誌面刷新後のTMS誌は、このようにベテランファン諸氏による貴重な記録を掲載しており、昔日の鉄道に関心がある者としては見逃せなくなっています。