1989年8月4日の撮り鉄日記
(この日記は1989年8月4日の内容だが、ブログ投稿は2021年1月24日)
1989年8月当時の俺は16歳(高校2年生)
この日は4:00起床。
パン食って、
自転車で亀有駅へ
亀有で青春18きっぷにハンコを押してもらう。
亀有→松戸→大津港
455系撮ろうとしたが、大津港よりも、1つ前の磯原のほうが良さそうなので、磯原に引き返した。
しかし結局、時間の都合で455系は撮るのをやめて、
磯原→平(現在の「いわき」)→仙台
仙台駅で駅弁買う。
一旦、小牛田へ…
駅先端で12系和式客車『オリエントサルーン』[仙セン]撮ろうと思って愛宕へ引き返す。
愛宕駅は無人駅で、乗車証明書すらなかった。(当時)
ここで、さっき仙台駅で買った駅弁を食う。
駅先端は、カーブになっていたが、編成が入らなそうなので、
次の品井沼駅へ行った。
駅を出て、近くの踏切のところで、オリエントサルーンを撮った。
その時のオリエントサルーンのスジ
小牛田へ行って、アイスクリームを食って、
駅の外へ出て『なるごパノラマ』号を撮ろうとしたが、
あまり良い場所が見つからず、適当に撮影地を見つける。
時間もあまりないので、畑の所で真横から撮った。
帰りは仙台駅でカレーライス🍛食って、
愛子へ移動。
電話ボックスから家に電話した。
当時は携帯電話もない時代。
また、当時の俺は未成年だったので、親が心配するといけないから、テツなどで外泊する際は、親に電話してそのことを知らせなくてはならなかった。
愛子→上ノ山
駅を出て、どこか易く泊まれそうな旅館か何かを探したが、見つからなくて、さまよって歩いていたら、偶然に上ノ山駅に戻ってきてしまった。
ちょうど、町では祭りをやっていた。
なんか、阿波踊りみたいに、町で行列で踊っているという催し物をやっていた。
駅の電話ボックスのタウンページで旅館を探したら、蔵王のほうにいっぱいあるらしいということがわかった。
(スマホもない時代なのでいかに不便かがわかる。今の若い子なら、こんなときスマホでちゃっちゃと調べるでしょう?)
それで、蔵王に…
22:50
蔵王駅を出て、付近を歩いてみたが、旅館なんて見当たらない。
一般の民家したかない。
(今、思うと、蔵王はスキーの名所なので夏季はあまり旅館とかやってなかったのかもしれない)
山形駅に戻ろうとしたが、もう終電はない。
なんとか歩いて山形駅へ行こうとして、方向感覚で進んだ。
街の中にある看板などを頼りにして…
5kmくらいなので歩ききれる距離だ。
しかし、なんか線路と遠ざかっているような感じがした。
列車の音が聞こえたので、列車の音がした方向へ歩いて行くと、不思議なことに、再び蔵王駅に戻ってきてしまった。
どこかで、一周してしまったらしい。
もう、歩き疲れたので、蔵王駅でマルヨすることにした。
駅はもう扉が閉められており、電気も消されて真っ暗だった。
なんとか駅の待合室に行った。
夏なのに、田舎のほうは空気がキレイなのか、星がいっぱい見えた。
うんこがしたくなってきたが、トイレも真っ暗だ。
電気のスイッチもどこにあるかわからない。
ポケットティッシュを多めに持って行って、真っ暗な中、うんこをした。
ボットン便所だった。
真っ暗で、ズボンとかにうんこがくっつくといけないので、ズボンもパンツも脱いで、たたんで地面に置いておいた。
あまりにも真っ暗なので、トイレの扉は開けっぱなしで、わずかな薄明かりだけを頼りにした。
待合室に戻ろうとすると、工事用車輌がライトを点けてホームに停まっていた。
俺は作業員にみつからないように、そっと待合室に入った。
しばらくして、工事用車輌は行ってしまった。
翌日のエントリーへ続く…