JR上野駅公園改札 | 国立公園鉄道の探索 ~記憶に残る景勝区間~

国立公園鉄道の探索 ~記憶に残る景勝区間~

国立公園内を走る鉄道の紹介と風景の発見
車窓から眺めて「これはいい」と感じた風景の散策記

[ 国立公園鉄道の探索 ]

JR上野駅公園改札

 

 

上野駅の公園改札は、2020年3月20日に、従来の公園口から約90m北側に移設されました。

上野恩賜公園に向かう人のスムーズな動線確保のために移設されたそうです。

山手線内では、原宿駅西口とともに、駅からそのまま緑地帯に進むことができる改札が誕生しました。

 

 

 

上野駅改札口の正面広場は、上野恩賜公園の歩行路に繋がっています。

 

 

 

リニューアルされた公園改札駅舎には展望スペースも出来ました。

 

 

展望スペースから、上野恩賜公園が様子が見渡せます。

 

 

 

 

公園改札駅舎展望スペースは、上野駅5、6番ホームの尾久よりの位置からも見えます。

 

 

展望スペースから、5番線の宇都宮線と、2番線を発った山手線外回りを眺めます。

 

 

 

上野恩賜公園ですが、日本最初の「都市公園」と紹介されることもあります。

不忍池のある谷間と、下町の低地に挟まれた台地にあたり、「上野の山」と呼ばれる高台に位置しています。

 

 

 

 

周囲の都市的な空間の中で、緑樹の多い公園は静かな別世界のようです。

 

上野恩賜公園は、柳美里著「JR上野駅公園口」の舞台となりました。

この作品は、気鋭の翻訳家モーガン・ジャイルズ訳により、2020年全米図書賞( 翻訳文学部門)を受賞、大きな関心を集めました。

 

「居場所のない人のために、魂の避難場所となる物語を作りたい」という作者からのメッセージもありましたが、そこに共感を寄せる読者は米国でも数多存在したようです。

この小説の主人公は、福島県南相馬出身の労働者で、その後ホームレスとなった人物なのですが、物語の中に漂ういいしれぬ喪失感から、地縁血縁を断ち切られて孤独になることが、決して特殊なケースではなく、国境を越えた様々な都市空間で進行していることを予感させられました。

 

余談ながら、現在世界的に現代日本作家の作品が好感される傾向があるようです。この作品の翻訳者・モーガン・ジャイルズ女史は、山崎ナオコーラの小説の翻訳も手掛けているようで、現代日本文学の翻訳者としの今後のさらなる活躍が期待されます。

 

 

上野恩賜公園の一角には、幕末、徳川幕府の親衛隊、彰義隊の顕彰碑と、幕末の上野戦争で犠牲となった隊士の墓があります。因みに彰義隊の有力メンバー・渋沢成一郎は、渋沢栄一の従兄にあたるそうです。

 

 

 

その南側には、西郷隆盛の銅像と、西郷隆盛の行動理念ともいうべき「天を敬い 人を愛す」の石碑があります。

 

 

 

 

 

 

その背後には清水観音堂があります。

 

小説「JR上野駅公園口」には、「シゲちゃん」というインテリなホームレスが登場します。

彼が「西郷さんの背後に彰義隊士の墓があって、五分も離れていないところにある清水観音堂に、上野戦争で官軍の鍋島藩が撃った砲弾が保管されておるなんて、ここはなかなかおかしなところですよ。・・・・・」と語る場面があります。

ある面、この上野恩賜公園は、靖国神社に祀られる側ではない方々の魂が宿っている緑地ともいえ、この地の性格をよく捉えた見方と思います。

 

 

 

 

上野の山の西側は、不忍池のある谷間に限られています。

小説の中では、以前はホームレス諸氏たちが、池にいる鴨や魚を捕まえて鍋にしてしのいだこともあったが、周囲に高層マンションが出来、住民からのクレームで禁止された、という話もありました。

 

 

上野の山へ戻ります。台地の真ん中にこんもりとした高台があります。

摺鉢山古墳という前方後円墳とのことです。形状はかなり変化しています。

 

その隣に正岡子規記念球場があります。

そういえば、正岡子規の出身地・松山の松山藩も幕末騒乱の時は幕府側につき、長州征伐の折は先鋒を仰せつかった歴史がありました。正岡子規は、松山藩士・正岡常尚の長男として誕生、明治初期、野球が日本伝えられた時は、その熱烈な愛好家として知られました。