2011年は名古屋鉄道7000系の生誕60周年になります。今も現役なら還暦になりましょうが、さすがに現在も運用に就いている車両は皆無です。あの 「鉄道ファン」 誌の第1号の表紙を飾ったのもこの7000系でしたし、1962年のブルーリボン賞も獲得している名車中の名車。今では比較的浸透している前面展望を最初に採り入れたのも名鉄7000系でしたし、その後も名鉄には様々な車両が登場していますけど、でもやはり、7000系のインパクトには敵わない、7000系を上回る車両は登場していないように思います。

 

運転席を二階部分に据えて、前面展望を可能にしたスタイルは小田急の3100形 (NSE車) に似ており、子供の頃は 「小田急のマネしやがって・・」 と憤慨したものですが、実は7000系の方が先輩で、小田急好きではなかったのにそれを知った時はちょっとショックでした。実際にそうかどうかというのは判らないけど、名鉄ファンに言わせれば 「小田急の新しい特急車両はパノラマカーをパクっているだがや」 となります。それだけパノラマカーの影響力は絶大なものがあったんでしょうね。

 

名鉄7000系、小田急3100形ともにあの前面スタイルはイタリア国鉄の 「セッテベッロ」 が範とされています。

デザインに関しては当初、製造を手がけた日本車輌の専属デザイナーが行っていましたが、いずれも名鉄からダメ出しで、やむなく、外部のデザイナーに依頼。この人こそ、黒岩保美氏と並び称される日本の代表的鉄道デザイナーである、萩原政男氏でした。後に萩原氏は 「鉄道ファン」 の初代編集長にもなった人ということで、この辺りは妙な 「名古屋つながり」 を感じます ( 「鉄道ファン」 を発行する交友社の本社は名古屋にあるから) 。

 

車体は普通鋼製ですが、軽量化を重点に置いたため、強度計算を綿密に行って採用しています。踏切事故を含む衝突事故を考慮して、先頭部には最大吸収エネルギー77,000kg/m・容量250tのダンパー (ショックアブソーバー) が設置されました。実際に発生したダンプカーとの衝突事故 (1961年11月) では、そのダンパーの効果が発揮され、ダンプカーは40m引きずられましたが、人的被害は乗客が軽傷を負っただけで、展望車のガラスはひびが入った程度で済みました。この事から7000系の安全性は立証されまして、マスコミから 「ダンプキラー」 と言われたりもしました。なお、このダンパーを開発・製造したメーカーこそ、後に自動車のショックアブソーバーメーカーとして世界的な企業になる、KYB (当時は萱場工業) だったことを付記しておきます。

その展望車ガラスですが、当時の日本の技術では曲面構造の複層ガラスが製造出来なかったこともあって、全て平面ガラスを採用しています。同様の理由で国鉄のナハフ20形客車も平面ガラスを採用したのは有名な話。後年、曲面ガラス製造の技術が確立して、ナハフ20の増備車とナハネフ22、そして小田急3100形は曲面ガラスを採用しましたが、7000系は最後まで平面ガラスを貫きました。

 

足回りは先に登場した通勤用5500系に準じています。

5500形は日本初の 「大衆冷房車」 として著名な車両ですが、名鉄初の高性能車ではないけど、5000系から始まった名鉄高性能車両の技術革新は5500系をもってある程度確立したことを受けて、7000系も5500系を倣ったものとしています。

台車は空気バネ式のFS335形で、エアサス台車は名鉄初になります。

7000系のアイデンティティと言える、二階構造の運転室はスバル360を範としています。7000系の手本となったイタリア国鉄の 「セッテベッロ」 は室内から運転席に上がる構造ですが (小田急3100形も同様の構造) 、7000系は 「全ての乗客が前を見られるように」 というコンセプトだったことから、車外から運転席に入るように設計されました。いつも思うことなんですが、雨天時や積雪時に足を滑らせて落ちたら、さぞかし痛いだろうなって。

 

7000系は補助警笛としてミュージックホーンを採用しています。

実際に乗って、その音を聴いた方も多いかと思いますが、補助警笛の装備は名鉄が最初ではなく、小田急3000形 (SE車) がその嚆矢とされています。ただ、小田急の補助警笛はテープ式であったのに対し、7000系はトランジスタを用いた発振回路によって波形を生成し、増幅器を通してスピーカーから前方に音を出す仕組みで、保守が容易であることが特徴。

 

冷房装置は5500系に載せたものを改良して搭載しています。

キセ自体は国鉄のAU12型に似ていますが、鉄道会社によって呼称が異なるため、もしかすると、同じ仕様なのかもしれませんね。

あと、7000系を語る上で外せないのが外板塗色。

歴代名鉄車両の代名詞とも言える 「スカーレット」 の外板塗色は7000系が最初。そのデザインは岸田劉生門下生の画家・杉本健吉によって描かれたとされています。

 

7000系は1961年6月から豊橋-新岐阜 (現、名鉄岐阜) 間の特急で運行を開始しましたが、当初は特急専用を前提として、しかも豊橋-岐阜間の運転のみと考えていたことから、行く先方向板は設置されず、車体前部に小さなヘッドマークというか、エンブレムが据えられただけでした。因みにそのヘッドマークというか、エンブレムには顕微鏡でないと見えない文字が刻まれており、そこには 「Phoenix (フェニックス) 」 と記されています。説明するまでもなく、 「不死鳥」 を意味しますけど、事故防止の願いが込められているという言い伝えがあります。

1962年から運用範囲に犬山線が含まれたこと、特急ばかりでなく急行にも充当されるようになったことから、ここで初めて 「逆富士型」 のサボが設置されました。

1963年には改良版である7500系が登場していますが、メカニズムの違いからか、7000系との混結は出来なかったようです。

 

こうして、7000系は1975年までに116両が製造され、名鉄の最大勢力+主力車両になりましたが、同時に1970年代になると、支線にも進出するようになります。ただ、支線用には前面展望の先頭車ではなく、貫通扉付きの先頭車が採用された7300系が充てられ、さらに7700系へと受け継がれます。そして激化する朝ラッシュに対応すべく、4両編成×2=8両編成で運転されたり、1975年の最終増備車 (9次車) はロングシート部分を多くして側面扉が両開きとするなど、ラッシュ対策も施しましたが、2扉では限界があり、会社としても苦渋の選択で東急から3700形電車を購入し、3880形として場つなぎをした後、1976年に本格的な通勤用車両、6000系を登場させることになります。

 

前述のように、7000系は当初、特急に充当されていましたが、特別料金は徴収していませんでした。ただ、観光地向けの特急には座席指定を設けて別途料金徴収したり、国鉄高山線に乗り入れる特急にも指定席が設定されたことから、1977年から特急は全て座席指定となり、別途料金を徴収することになりました。そして従来の特別料金を徴収しない特急については、 「高速」 という種別が新たに与えられました。名鉄の 「高速」 という種別に懐かしさを覚える方も少なくないと思います。

そんな中、1982年に国鉄は117系電車を使用した 「東海ライナー」 の運転を開始しました。京阪神地区の 「新快速」 で、並行する私鉄をきりきり舞いさせた (スピードだけね) 英雄が名古屋に進出するということで、名鉄は危機感を募らせます。 「東海ライナー」 の前身である 「中京快速」 は、スピードこそ一級品ながら、使用車両は急行形のお下がりでホスピタリティは劣悪そのもの。それでは名鉄に勝てないと思ったのか、117系を投入して起死回生を図ったとされています。

このニュースに瞬時に判断したのが名鉄で、7000系と7700系をベースに内装を変更した特急専用車を投入しました。従来車と識別するために車体に白い腹巻きを入れ、巷では 「白帯車」 と呼ばれました。

 

1988年、7000系の後継と位置づけられた1000系 「パノラマSuper」 が登場すると、7000系は一部を除いて一般車両に再改造されるようになりますが、このまま1000系を増備して7000系は普通運用か支線に転配されるのかと思いきや、1990年の施策方針変更によって、特急運用は残存しました。その後も何となく特急運用は残されていましたが、1999年に1600系が登場して、それがとどめとなりまして、7000系の特急運用は完全に消滅しました。

 

以降は本線と支線の普通運用に充てられるだけの余生になりましたが、後継車両の登場によって7000系の運用は激減し、2008年に6両編成が運用離脱。そして2008年には7000系の定期運用が消滅、イベント用として残されましたが、2009年8月に7000系による営業運転は終了しました。2010年までに残党の7100系、7700系も廃車となり、ここにいわゆる 「7000系列」 は形式消滅しました。このうち、7001と7002は舞木検査場に静態保存されており、行く先方向板を取っ払って、あの 「Phoenix」 のエンブレムを復活させた原型に復元させています。また、中京競馬場には7027-7092-7028の3両が静態保存、7092をカフェテリアに改造した 「パノラマステーション」 として活用しています。

 

画像は例のエンブレム付き+行く先サボ無しのスタイルは登場時のスタイルそのものなので、おそらくホントの最初期の姿。登場時に撮られたものと思われます。

 

私も一回だけ、7000系に乗ったことがあります。

2008年11月9日、コンサートで名古屋に訪れた際、ちょうど 「パノラマカーの終焉近し」 という情報を得ていたため、せっかくだからと行程に盛り込みました。

東岡崎発犬山行きの普通列車でしたが、その時の編成が記録されていました。

 

↑名古屋・犬山

① モ7042

② モ7081

③ モ7082

④ モ7041

⑤ モ7705

⑥ モ7706

↓東岡崎

 

このうち、7705と7706は途中からくっついたとされていますが、何処でくっつけたのかは記されていませんでした (どうも、金山駅らしい) 。

残念ながら、最前列は同じことを考えていた鉄ヲタに占領されましたが、それでも2列目を確保。そして延々各駅停車だったので、犬山に着く頃は疲れ果てました。

この時の行程では、最初で最後の犬山のモノレールにも乗りましたし、帰路になりますが金山駅では留置されていた7000系の白帯車も見ることが出来ました。また東京から岡崎へは夜行高速路線バス 「ドリームとよた」 を利用。何とこれがもはね史上初の 「高速路線バス乗車」 でした。

 

名鉄にとっても、日本の鉄道車両全体にとっても、名鉄7000系は後世に語り継がれる車両となりました。

 

【画像提供】

ウ様

【参考文献・引用】

ウィキペディア (名鉄7000系電車、同7500系電車など)