列車は下関に向け出発。


なんかギザギザなお山ですな。

僕の思う山口の山陽線の車窓はこれ。こういうのが延々と下関まで続くと思ってたんだが防府までは結構海の区間が続いてた。

車内はがらがら。ボックス席を独占し足を延ばして悠々と旅をする。

 

時刻表とにらめっこしながらこれからの予定を考える。

列車は大道駅にとうちゃこ。ふと外を見ると

学校が。校名を見ると高川学園・・・。おぉ~名前は見たことあるよ。甲子園にも出たことがあると思う。確か地方大会で我が母校とも対戦しとったな。その時は我が母校が勝ったと思う。

おぉ~立派な球場が。野球部はこんなところで練習しとるのね。いや~いい施設もってんなぁ。金も持ってるんだろうなぁ。我が母校とはえらい違いである。

そして僕の思う山口の山陽線の景色を眺めながら西へと進む。

列車は小郡・・・じゃなかった新山口にとうちゃこ。

宇部線の105系が停車中。思い出の車両が現役で頑張っているのは嬉しいんだけどできたら昔の姿で見てみたいなぁ。確かこんな感じで1色で塗りつぶす方がコストが安いと聞いたことはあるんだがなんだかね。この辺は113系もまっ黄色なんだが関西で走る緑一色の113系を初めて見た時には唖然くらった。朝家から川西池田駅に向かってた時ね。ふと顔を見上げたら真緑色の113系が宝塚の方に走って行くのを見てぎょっとした。昔は113系(115系?)も走ってたからそんなこともあったんだが今はもう見られなくなってしまった。

そして列車は宇部にとうちゃこ。あちらにも宇部線の105系が宇部線は新山口と宇部を結ぶ路線なんだが山陽線で行けばたったの4駅なんだが宇部線はめちゃくちゃ遠回りしながら宇部を目指す。その数17駅。

この辺り、鉄道がいろいろ入り組んでいて乗り潰しの頃は苦労した区間である。石炭とか石灰とかそういうのがいろいろ採れた地域なのでその輸送のために鉄道が敷かれた。そういうのもあって田舎(おっと失礼!)なんだが鉄道路線がいろいろ枝分かれする。

山陽線に乗っていても新山口で山口線、・宇部線・山陽新幹線、宇部で宇部線、小野田で小野田線、厚狭で美祢線・山陽新幹線、新下関で山陽新幹線、幡生で山陰本線、そして下関で九州方面と連絡する。田舎なんだが広島よりもよっぽど鉄道網が入り組んでいるのである。

 

そして実際にそれらの駅を通過しながらついに終点の下関が近づく。

車窓から今宵のお宿、ホテルWINGを眺める。今夜は太宰府から帰ってからあそこへ泊るんだが予定よりも1本早い列車に乗ることができたので軽量化のため荷物を預けて行こう。

そして13時14分、列車は終点の下関にとーちゃこ。

山陽本線の終点はお隣の門司なんだが僕的にはここ下関が終点という感覚である。

本州の西の果ての駅。街の貫禄もたっぷりで終点感がプンプンする。

事実山陽線の運転系統もここで途切れてるからね。門司が終点・始発になってる山陽線の列車ってない。戸籍上の終点ではあるけど運転系統では完全に途中駅だ。

この駅は事実上の山陽線・山陰線の始発・終点の駅でJR西日本とJR九州の境界駅でもある。下関は人口も山口県NO.1で新幹線こそ乗り入れていないけどこの駅は山口県で最大の利用者数を誇っている。

この駅の思い出はなんといってもふくめしである。大学生の頃ね、ムーンライト九州に乗ってまだ暗い時間にこの駅に到着するとホームに降りてね、機関車の付け替えを見物するんですよ。ここから先の関門トンネルは海底トンネル。上から海水が降ってくるから錆防止のステンレス製のEF81(通称銀釜)へとバトンタッチするのである。そしてホームの駅弁売り場でふくめしを買って朝ごはんとするのである。いや~懐かしいなぁ。でも今はもうその駅弁を食べることはできない。その駅弁を作っていた会社が廃業しちゃってね。ムーンライト九州もなくなっちゃったしすべてが過去のものとなってしまった・・・。

さぁ次に乗る列車は13時29分の小倉行き。それまでにホテルに荷物を預けに行こう。

改札を抜け徒歩3分少々

ホテルWINGさんにとうちゃこ。荷物を預け身軽になって駅へと戻った。  続く