1ケ月以上も更新をサボってしまいましたが、2021年最初のブログです。

本日1月22日、JR各社から『春の臨時列車』運転についてのプレスリリースが発表されましたが、そんな中で残念なニュースが入ってきました。

JR東日本のプレスリリースには、臨時列車運転の告知の後、本文の終わりにこのような文言が記されていて…。

 

「臨時列車の快速「ムーンライトながら」につきましては、お客さまの行動様式の変化により列車の使命 が薄れてきたことに加え、使用している車両の老朽化に伴い、運転を終了いたします。」

 

国鉄時代から長い間運転されてきたいわゆる『大垣夜行』の系譜を受け継ぐ『ムーンライトながら』でしたが、定期列車から多客期の臨時列車に格下げ、さらには運転日数の減少を経て、コロナ禍が原因で昨春の運転を最後にその後設定される事なくこのような発表に至った、というワケです。

コロナ禍の影響と、使用車両の185系電車の完全引退時期が迫っている事もあり、昨年の夏臨として設定されなくなった時点で鉄道ファンの間では列車自体事実上の廃止ではないか、と専らの噂にはなっていましたが、ついに現実のモノとなってしまいました。

 

快速列車という事で、普通運賃+指定席券で利用できるため青春18きっぷユーザー、いわゆる18キッパーには重宝されてきたムーンライトながらですが、晩年はほぼ彼らのために運転されてきたといっても過言ではないでしょう。しかし、使用車両の老朽化による後継車の確保が難しくなった事に加えて、走行区間であるJR東日本と東海の間の調整、深夜勤務の乗務員や駅員の確保、さらには採算性の低さ、そして指定席券の2席買い占めなどの乗客マナーの悪化が何かと問題になっている中で、このコロナ禍による需要減でいよいよとどめを刺された、といった処でしょうか。

 

まぁ、コレも時代の流れといってしまえばそれ迄ですが、夜行列車の灯がまた一つ消え、さらに鉄道旅の楽しみが失われてしまう事を悲しむのは鉄道ファンの単なる郷愁なのでしょうか…。

 

そんなムーンライトながらですが、私自身はたった一度だけ乗車した事がありました。

『瀬戸瀬から志布志ゆきの旅』に出る少し前、2019年の12月21~22日の間にも道外遠征に出掛けており、その時は空路で仙台空港に降り立ち、仙台空港線を経て東北新幹線で郡山へ、磐越西線を会津若松へ出てそこからキハ40の終焉が迫った只見線の会津川口の間を1往復し、東北新幹線を経て宇都宮からはE231系普通列車のグリーン車に乗って東京へ出て、今回紹介するムーンライトながらに乗車、そして大垣から東海道本線を西進、米原から東海道新幹線で新大阪へ抜けて大阪から東海道本線~高山本線を直通するキハ85系ワイドビューひだで高山へ、そして同じくワイドビューひだで富山まで抜けて高山本線を完乗後、富山空港から空路で北海道へ戻る、という旅をしてきたのでした。

今回はその中から、正式に廃止が発表となったムーンライトながらに乗車した時の事をピックアップして紹介したいと思います。

 

 

ムーンライトながらが出発する東京駅(丸の内口)。

宇都宮20:24発の普通1635Eに乗って22:20に到着しました。

 

 

 

ムーンライトながらは東京駅10番線ホームから発車します。

私は9号車に席を確保していました。その乗車口位置表示です。

 

 

 

やはり天下の東京駅です。長距離列車が発着するホームも他の東海道線列車がひっきりなしに発着します。

10番線ホームのLED発車標には『本日の快速ムーンライトながら号は、満席です。』と表示されていました。

 

 

 

ムーンライトながらの入線は23:02発の小金井発平塚行1639Eが出発した後なので、かなり慌ただしいです。

 

 

 

ようやく入線してきました。

車両は185系宮オオC7(付属4連)+B6(基本6連)による編成。基本番台と200番台による混成でした。

この日の9391M(下り)快速ムーンライトながらの編成は下記の通り。

大垣←①クハ185-113 ②モハ185-25 ③モハ184-25 ④クハ185-13 ⑤クハ185-312 ⑥モハ185-223 ⑦モハ184-223 ⑧モハ185-224 ⑨モハ184-224☆ ⑩クハ185-212→東京

 

 

 

⑨号車は後から2両目。パンタグラフ付中間電動車のモハ184でした。

私にとって185系電車に乗るのは2度目で、この年の1月3日に乗車した横浜→松本の『はまかいじ号』下りラストラン(※結果的にそうなった)以来。私としてはメインの踊り子号としても乗ってみたかったのですが、残念ながらコロナ禍で道外遠征を控えているため実現する事なく引退を迎える事になりそうです。

 

 

 

デッキには国鉄型優等車両ならではの『くずもの入れ』が。

我が北海道のキハ183系にもこのアイテムが装備されています。

 

 

 

23:10に発車後、首都圏では川崎、横浜、小田原と停車していきます。

写真は横浜~小田原の車内ですが、まだ空席がチラホラ見受けられ、小田原でも数名が乗車しましたがマルス上では指定席が満席であるにも関わらず、座席が完全に埋まる事はありませんでした。

私の隣にも東京から若い男の子が座ってきましたが、良識のある方で私が席を立つ時も嫌な顔一つせずよけてくれたのでホッとした半面、前の席にいた初老の男は明らかに2席買い占めを行っていると見え、他にもそのような行為をしていると思われる輩が所々に見受けられたのは残念です。

 

 

 

この時の旅は普通列車区間で青春18きっぷを使用しており、指定席券はえきねっとで『セルフ10時打ち』で確保しました。

取りやすさを優先して「どの席でもよい」で設定していたのですが、取れたのは進行左側の窓側席でした。

写真は車内改札後で、18きっぷの2日目には『東京車掌区』(途中からJR東海の車掌と交替)の日付印が押されています。

 

 

 

私自身、列車の中ではあまり良く眠る事のできないタイプなのですが、小田原から先は寝ていたようで、1:48着の静岡で目が覚めました。

そこでは上下のムーンライトながら同志が顔を合わせるのですが、2分しか停車しないため残念ながら写真を撮る事はできませんでした。

2:46着の浜松では16分停車し、数本の貨物列車を退避します。

 

 

 

ホームの自販機で買い物をする乗客は結構多かったですが、冬にも関わらずホーム上でアイスを食べている人の姿もいたのにはビックリ!

 

 

 

浜松駅4番線ホーム床にあった夜行列車の乗車位置表示。

サンライズ出雲・瀬戸号にはまだまだ頑張って頂きたいです。

 

 

 

浜松停車中に撮影した基本編成(左)と付属編成(右)の連結面。

非貫通で通り抜けはできないため、車掌が2組乗務しなければならずこの非効率も列車廃止の遠因でしょうか…。

 

 

 

列車は名古屋、岐阜を経て5:45に終着の大垣へ到着。

 

 

 

大垣からはJR東海の311系による普通3203Fに乗り換えて米原へ向かうのですが、8連のためいわゆる『大垣ダッシュ』をしなくても先頭車両まで行けば余裕で空席を確保できました。

 

 

 

ここまでムーンライトながらの乗車記を紹介しましたが、結果的にコレが最初で最後の乗車となってしまいました。

その後、3月の青春18きっぷシーズンに再び道外遠征の乗り鉄を計画したものの、その後の新型コロナウイルスの脅威で実現は厳しいとわかっていながらも春臨のムーンライトながら(今度は上り)の指定席券を10時打ちをしていましたが、残念ながら道外への移動は自粛せざるを得ず、結局断念する事となりました。

その時の指定席券ですが、事実上のラストランとなってしまった3月29日の上り列車のモノです。

どっちみちコロナ禍で空席だらけ(えきねっとの発売状況を見ると、運転直前にも関わらず○が付いていた)という状況だったため、もしかすると今後の運転を行われないのでは…と払い戻しをせず記念に手元に残していたのですが、その不安が的中してしまい結果的には正真正銘のラストランになってしまいました。

 

 

 

コロナ禍のため正式なラストランを行わず、ひっそりと引退や廃止してしまう列車や車両が多くなっていく中で、結局ムーンライトながらもその一つに数えられてしまい、別れを惜しみたいファンとしては不満なのでしょうが、事前に発表してしまえば『葬式鉄』が多数殺到してしまう昨今なので、シレっと終了してしまうのはある意味仕方のない事かもしれません。

列車自体は消滅してしまいましたが、大垣夜行は鉄道ファンの思い出として永遠に留めておきたいものです。