ムーンライトながら ついに力尽きた | 旅一郎のブログ

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国鉄(日本国有鉄道)が、最後の全盛期を迎えた昭和47年ー53年までをテーマにした、汽車旅のブログです。

旧型客車亡き後、日本の鉄道旅行は本当につまらなくなりました。そのため海外ネタも載せています。

当時の雰囲気を伝えるものは鉄道にかかわらずアップします


ムーンライトながら廃止。


利用客のニーズの変化といいうのは言い訳だろう。


コロナを機に様々な企業が「生き残りをかけて」という掛け声の元、本業でも儲からない所はカットしていく傾向がある。


まさに便乗廃止、渡に船だったんだろうな。


これまでも毎回の臨時列車のプレスリリースで運転されていることをチェックし、

「何でまだ運転する必要があるの?」という社内稟議時の逆風をかわしながら運転計画を立ててこられてた関係者の方々に感謝してきましたが、

もはや限界だったんでしょう。


利用客の減少というけれども、

そもそも運転日が少なく、乗りたい時には満席で乗れない状態が放置されたのは、末期のブルートレインと同じで、安楽死させられたととしか形容できない。


「さよなら夜行列車」の北斗星の記事に書いであった通りです。


仮にボックスシートのままであっても、天下の東海道本線なのだから、一定の需要はあったと思う。


バスよりリクライニングが甘い14系客車で運転していた末期の急行「はまなす」も僕の動画の通り、シーズンはすごく混雑していました。




もちろん青函トンネルを抜けるバスがないということもあるだろうが、バスと競合するはずの札幌ー函館の区間利用もかなりあった。


つまり、運転していて、行って乗れる状態ならば需要はある。


結局は安過ぎて採算が取れないし、面倒だから新幹線に乗ってくれ、という事だろう。


もはや旅人に安くて安全な移動を提供する余裕がないという事が、コロナが明らかにされたというところだろう。


もう夜行普通列車を楽しむことは日本では出来ない。


そして海外にも行けない。


今、あの時の大垣夜行345Mの面影を求めて、七尾のクハ455 に乗りに行くことが、できることの最善だろう


p.s
臨時列車なのに正式に「廃止」発表って今まであったかな。

初めての例だとしたら、最後に敬意を払ったのかな。