愛と命の渇き 紹介文

苦労人の吟遊詩人が第2弾の詩集を紙で出版後月日が流れて、電子出版にまた登場となりました。俺たちの旅20年目の再開でしょう。独りぼっちから出発、家族ができマイナスからの子育て、もう泣く暇なく馬車馬のように相変わらず、苦しみや影と友だちで、青春の光と影の境目を歩いています。嫁の実家が四国方面で、夜行バスや飛行機にみんなで乗りました。大きな飛行機事故のテレビを見て、涙が止まらなかった・・・123便が垂直尾翼の破損から山中に墜落したが、4人の奇跡の生存者に12歳の少女がいた、素直な心は命の糸をつないだ・・病院の屋上から手を振るのを見た・・本編にあります。少女の表情を忘れ得ない・・。常に付きまとう映像的女性像、母性愛を求めて、花の心、蝶が感性を意図として飛んでくる、「過去からの黒い蝶」、四季の中に匂いと記憶飛行がある。悩める人の心はもがき、息をするためのペンを走らせ、苦悩の記録を残し、まるで生き方の矯正、捕虜収容所の中と思います。自分自身に欠陥を無理やり認めていく、時には逃げる・・以前のテレビで無実の罪で死刑を宣告され、からくも列車事故で・・脱した・・正しかるべき正義も時には召しいることがある「逃亡者」はキンブル先生が真実の証言で、自由になったところまで、見続けた真っ暗闇の自分自身があるのです。本編の後ろの方にⅢ生と死の接点のところで「白い薬」があります。どうしたら、社会に出ていけないという結論から自ら死んでゆく人、若者に待ったをかけられるかを、仮定しました。彼女という人が居るのに、妊婦さんが居るのには、無理があります。そうでもしないと止められないのでは、と思いました。でも若者が厭世観を抱くのは、みんな自分自身の立場だけで、一人ぽっちで行き詰まり、もっと若い年齢です。そんなときは相談と現代の特化した医療とか、心理学に関わってもらうしかないかも知れません。集団で触れ合いながら、少しずつの矯正でしょうか。そんなとき趣味、苦悩の記録を血と汗が染みたノートで本音を吐くのでしょう。学校に登校できない若者を、集団でみるという塾、親からうとまれた子供の居場所があるようです。舞台となるところ、1950年代の仏独合作映画「マリアンヌ」日本では、「わが青春のマリアンヌ」です。若杉慧の「エデンの海」もそちら系でしょう。しょせん作り話と言われますがね。ドイツ映画「制服の処女」は涙を流して見ましたが、校長先生は「何という醜態の限りです。」の次には少女の手を握り、「私が間違っていました。」と言います。この言葉で、ふーっと、私も息がつけます。本編のⅣ後からの作品では、けっこう自分では突っ込んだものを加えました。空想でこんな優しさがあったらすごいとかを、ショートストーリーのように、詩から少し背伸びをしてみました。「子犬の瞳」は実体験をもとにしています。「生命の果実」は、テレビ映画で古いですが、見ていたコンバットから、発想しました。本編には載っていませんが、「サイレンの少年」とか、これは歌手に石川秀美さんが居て、歌のタイトルから拾いましたが、中は違います。サイレンを鳴らしているが音がないもの、苦しい心境で、・・・また次の詩集「蒼い結晶」で載せてあります。電子出版は予定です。何か最低限守るものは、誰にでもあるでしょう。降りかかる火の粉は、打ち払わねばならない、という日本史からの言葉もありますが、何でもかんでも受け入れられないという姿勢はあります。でも、なんだかんだ言って遠回りして、いつも後からわかるのは、私の常です。「遠回りして」はそれですね。私の好きな小椋佳さんの歌詞にもやはり出てきます。ここで詩を書いて、イラストも描いて、一緒に貼り付けるポエミーと言われますが、表紙の次のもので、「夏の虚しさ」に触れます。季節の強さがあるのに、陽の光の下、虚しいというのは、寂しさからの体験ですが、きついです。一人ぽっちでプールへ行ったり、詩の本や、一時はやった小説の村上龍さんの「限りなく透明に近いブルー」を持って、海水浴、一人で行きました。これは家族ができる前でしたが、仕方がありませんね。おそらくアパートの一人暮らしが長かったし、全部自分で身の回りをするのは大変ですが、自由がありました。先に電子出版の「心の血」と描いたものは振り分けもしています。第2弾では、主に家族がちょこっと出てきます。想い出して書くと、後からのは少しひねりが入っていて、誇張や多色彩になってきたようです。仕事の影響で、酒場、スナックですが、高い値段は避けましたが、行くたびに綺麗な女性が接待してくれて、昭和・平成は派手でしたね。行くコースは自分だけなのか、仕事の付き合いなのかで変わりますが、若さというか中年でしたから、仕事の気晴らしの鳥の水浴び場のようでした。行きつけの居酒屋カラオケは最後は家の近くにありました。ママ、いいことないよー、あらやっちゃん、オハヨー、金曜日のアフターファイブ、私の詩の頭の中のスケッチもしました。飲んで帰って、とことん考えても、よく書き直して、夜の蝶の世界でしたね。私、高木康文のホームページやブログもパソコンで、失敗しながらできていきました。鉄道を撮る、撮り鉄のユーチューバーチャンネルも作りました。ここまでやっと到達してきて、でも吟遊詩人は内気な少年です。次の「蒼い結晶」が出来ることを期待するのは、自分だけでなく、コマーシャルをしますけれど、やはり血を吐いて、太宰治が生き続けたかの気がします。書く力はもちろん及びませんが、優しさって続けられる必要が、とても大きいです。

悩める人は、決して自分だけではありません。夜が、明けなければならないですね。

 

吉日

 

                          電子出版のお知らせ

 

千葉市稲毛区 高木康文

 

 

書きためた詩とイラストで、すでに紙出版を終えたものを古くなりますので、電子出版をしました。新しいものも加えております。

  まあ、退屈はしないですむと思います。心に悩みを持っている方にも、こういう人もいるのかと思って、一息つけるといいと思います。アクセスした方の自由に、またどなた様にも自由にご利用ください。

 

                                      記

 

「愛と命の渇き」  高木康文

詩集「蒼い結晶」は 紙出版で残部があります。  この第3弾は今のところ 電子出版は予定です。

 

以下の資料は、インターネットでアマゾンのキンドルへアクセスの画面です。

 

 

詩集 愛と命の渇き Kindle版

高木康文 (著)  形式: Kindle版

   

 

   総武快速・横須賀線の新型車両 E235系を撮り鉄しました。横須賀ストーリー、ユーチューブにアップしました。

ご覧いただければ幸いです。

イラストは素敵なお嬢さんシリーズです。ずっと以前の フランスのシルヴイ・ヴァルタンさんもまねてみました。

    車掌さん、とっても丁寧でどうもありがとうございました。


 

意識の氷 高木康文 

ときが音を立ててきしむ どんなにゆったりしていても 条件反射は腐りきっていて 臭いがする ひとこまの意識を意識して 凍る そんなとき月が赤い ドブネズミが太っている 小さなネズミは震えが止まらない 意識を忌み嫌い とこしえに憎む この世のものではない 地獄から持ってきた 憎悪を恐怖から増長を招き 死ぬ手段を捜す 人の考えぬことを 考えては否定し 空転する 自身の動作から逃避した 眼の力で単に本を読み 理解しきれなくとも 満たせないながらも 頭に入れる 意識の氷に 触れないために じっとした 死ぬ手段が怖くて そのまま生きた 太宰治が生きてしまった 物質的欲求を満たすため 全身の神経を引きつらせて 働いた 自由人は心から 羨ましい ときはいつしか色褪せ 白くなり 心の泉の白濁が薄れ 偽の笑顔も いつしか肩が下がって 後からほんとうがついてくる 何処からどこへ 何のために 不思議な語句が 好きになった 終焉のとき 何度もたたき殺した何かに ありがとうを言う