去年の正月頃 | 模工少年の心

去年の正月頃には、中国で新型肺炎が発生したというニュースは届いていたけれど、まだ日本は大丈夫と、ほとんどの人が思っていました。

 

心配になってきたのは、ちょうど今頃からです。

それで、去年は例年と変わらずごく普通に、明るい年になりますようにと、初詣は、1月3日に東京、赤坂見附からほど近い日枝神社に行きました。

 

折から銀座線の渋谷駅が明治通り上空の新駅に移設完了したため、渋谷駅をチェック。たしかに、広々として分かりやすくはなったけれど、井の頭線との乗り換えはかなり不便になったのではないかというのが感想でした。

全てが上手くいくとは、なかなかいかないものです。


参拝した後は、お楽しみのたこ焼き、やきそばをいただきました。



のんびりした時間が流れていました。

 

さらに、1月5日には、お正月の参詣は初めての成田山新勝寺にも出かけてました。

大賑わいの新勝寺参道。例年のことだと思います。

まさか、あれから1年経って、こんなに生活環境も社会の空気も変わってしまうなんて思いも寄りませんでした。

 

成田山は、江戸時代、江戸の庶民の大人気の観光名所で、念願叶って参拝の旅に行くことになったときには、精一杯に格好つけて旅立ったそうです。

 

当時の人々の人生最高の旅は、お伊勢参りでした。

お伊勢参りが、今で言うヨーロッパ旅行に例えるならば、成田山の旅は東南アジア旅行にあたると言う感じでしょうか。

 

十辺舎一句の「東海道中膝栗毛」を読んだことはありませんが、弥次さんは全財産を処分して費用を工面して旅に出たそうですから、現在のヨーロッパ旅行以上の贅沢だったのかもしれません、

もう一方の喜多さんの方は弥次さん宅の居候だったそうで、随分と気楽なものです。

 

とは言え、男二人旅って、もう何十年もしていないし、これからも、まずしないだろうから、弥次喜多さんが少し羨ましい気もします。

 

それにしても、テレビの旅番組で「女二人旅」というのは良くありますが、男編はあまり聞きません。

歳とともに難しくなるのは、しかたがないのか…。

 とにかく、去年の正月は、どこまでも青い冬空に誘われて、成田山を目指しました。


往路は、九段下駅て都営地下鉄新宿線に乗り換えて本八幡で京成線に乗り換えるルートを取りました。

京成八幡駅に着くと、待ち時間なく、成田空港行きの快速特急がホームに滑り込んできました。

車両は3400系の8両編成。車内はロングシートの通勤車両タイプですが、かつての空港特急AE車のモーターが移植されていることもあってか、速い。

大きなトランクケースを車内に持ち込んでいる乗客もちらりほらりと、見かけました。

スカイライナーやリムジンバスと比べて、何しろ運賃が安いから、経済性重視の旅行には、特急料金が掛からない京成本線の快速特急が良いかもしれません。

快速特急が京成成田駅に到着するとすぐ宗吾参道の車庫を出庫し、成田空港駅へ向かうAE車スカイライナー号がやってきました。

その姿を見て、同行の家族は「これで来たかった。」と少々不服を。スカイアクセス線で空港第二ビル駅乗り換えと言うルートもあったのですが、成田詣はやはり伝統ある本線で…、というのが頭にあって、選択肢から外したのに、ここでAE車に出会ってしまうとは…、少し決まりが悪く思いました。

駅を降り参道へと、途中で買った手焼き煎餅をかじりながら、新勝寺に向かいました。


健康を願い、しっかりとお詣りをした後は、名物の鰻を!

うな丼のセットにしました。

成田山真勝寺参道の名物が鰻なのは、近くの印旛沼が鰻の好漁場だったからです。

江戸時代の情緒が今も残る800mほどの参道に鰻料理の料理屋さんが軒を連ねる様は、成田ならではです。

コロナウイルス感染拡大のために、現在は、成田空港を発着する国内外航空便がほとんど運休してしまいましたが、また元に戻ったときには、ぜひ、京成線でわずか3駅の距離にある成田山真勝寺を訪れることをお勧めしたいと思います。

 

私のブログでは、鉄道模型の製作に関わる記事を中心に、ささやかですが旅行に絡めて鉄道写真を撮ってきたことなども掲載しています。

しかしながら、コロナ対策で移動を控えるよう要請されている現在は、ブログで後者を扱うことに対しても何となく気が重い心持ちです。

 

帰路は、JR成田駅から総武本線経由の列車を利用して帰着しました。

 

1年も前の出来事ですが、重い心持ちを少しでも払拭できたらと考え、紹介させていただきました。

資料的価値もほとんどない内容ですが、ブログを訪問いただきありがとうございました。