話を第二次伊豆・箱根戦争に戻す。
今回の件で、康次郎は五島に対し激怒すると共に非常に警戒と畏怖の念を抱く様になる。
五島の戦略は、いつも最初は話し合いと言う穏便な事から始めるが、決裂となった途端に根回し・謀等の工作を練ってくる。
だから五島と敵対関係にある者は悉く「いざ戦術」と言う実戦となる段階には、もう勝敗がついてしまうのである。
要は戦う前から勝っているのであった。
今回は話し合いも無く、小田急との抗争中にいきなり背後を襲われた様なものだ。
五島は紛れもなく政戦両略の天才でもあった。
さて、康次郎は堤家の家憲なるものを作っている。
「家訓」ではなく「家憲」である。
「友達をつくるな」 (利用されるだけ)
「優秀な人材はいらない」 (上の命令に忠実であればいい)
「株の多数を買収せられたり、過半数の株を買収して乗っ取られない様にせねばならぬ」
等、康次郎にしては他愛のないものを作ったものである。
後年、康次郎はわざわざその堤家の家憲に、
「五島慶太の陰謀は計画遠大。
到底普通の者では防ぎきれぬものではない」
と書き残した位である。
しかも、東急の本格的な参入に依り、康次郎率いる西武・駿豆枢軸の旗色は良くなかった。
小田急を追い込み硬化させ、激怒させた事も失敗であった。
実際、箱根方面では、小田急が陸続き所か線路で、しかも自社線から復讐に燃えた応援部隊を送り込んでくるのである。
小田急は、今回の直接の東急参入には歓喜を持ってこれを迎えた。
敵とすればこれ程厄介な相手は居ないが、味方とすればこれ以上頼もしい相手は居ないからである。
同地では東急ともターンパイクの件で応戦中だ。
更には伊豆方面では東急との対立の上、東急と地元との緊密な連絡を絶ち、建設の為の買収部隊を攪乱させ邪魔をする施策もしなければならなかった。
世界大戦で2度も東部戦線・西部戦線等、多方面に兵力分散を余儀なくされたドイツと同じ様な状態となった。
流石に西武と言えども二正面作戦はきつく、各地で押され気味となった。
康次郎はこの劣勢を挽回する為、又思案を巡らす。
それで出てきた回答は、自己の政治力を駆使する事であった。
政治力に依り、東急を牽制し、行動を抑え込め様としたのである。
この記事は2015-01-22
yahooブログにて掲載していました。