1月3日早朝。僕は実家をあとにする。昨日は三次に到着後高速バスで実家に帰った。今回は12/29の夜に帰り1/1の夜まで。そして1/2の夕方帰ったので実質4日余りを実家で過ごした。

6時過ぎの始発のバスに乗るべくバス停に向かう。

漆黒の闇の中バスを待つも時刻になってもやってこない。「ん?何で???」

田舎の一本道である。信号もないに等しい。僕はこれから九州へ向かう。太宰府天満宮である。途中防府天満宮にも立ち寄るのであまり時間がない。

バスで可部ではなく横川に向かう。可部でバスを降りて可部線に乗ってしまうと横川からの乗りたい山陽線に間に合わない。

ただでさえ単線の可部線は遅い。可部ー横川間14kmを30~40分もかけて走る。時間帯によっては列車の待ち時間を含めると可部線よりもバスの方が速いのである。

10分遅れてバスはやってきた。ところが・・・「すみません。チェーンを外します。」  おいおいマジですか???チェーン巻いてたの???峠越えでは必要だったんですかね???結局15分遅れでバスは出発した。

で、やっとこさ山陽線と新幹線が見えてきた。

ガードをくぐって右折すると横川駅である。途中で多少の回復運転をしてくれて想定していた10分遅れの枠に収まった。

横川駅に入っていく広電の路面電車。

というわけで横川駅にとうちゃこ。画像では見ていたけど実際に新しくなって来るのは初めてである。

電車で通るだけなら何度も通ったが実際にここから電車に乗ることはなかった。

電停も整ったねぇ。ところで広島にいた頃はここの路面電車を「市電」って呼んでたけどあれは正しかったのかね?広島の路面電車は市の交通局とかが運営しているのではなく広島電鉄という民営会社の経営している。昔それを友達に言ったら「そういう市電じゃなくて市内電車という意味の市電だ」と教えてくれた。小学生の頃は広島市に住んでいたとはいえ郊外に住んでいたため路面電車は「都会の乗り物」であり実際に市内(この言い方は広島特有なのかもしれんが旧市内・・・平たく言うと広島市の中心という意味)に住んでる人がどう呼んでいたのかは覚えていない。吉島に住んでた子が「市電」って言ってたような気もするけど記憶が定かでない・・・。

さぁ改札を通りますよぅ。

横川・・・可部線沿線だったり広島の北部に住んでる人間的にはここからが都会の始まりという感じである。あ、さっきから都会都会言ってますけど広島県民的には広島市は大都会なので悪しからず。で、この横川駅は可部線と山陽線が乗り入れ、その他にも路面電車にバスのターミナルがあったりして広島北部の田舎者からしたら横川はキラキラ眩しい街なのである。

可部線が広島に向け出発。

そして僕の乗る岩国行きが入線。

さぁこれから山陽線を乗り継いで山陽本線の終点、門司を目指しますよぅ。

ほぃ広電宮島線と並走。

今回の旅でここを通るのは最後である。

川西への帰りは下関から山陰本線に乗る。したがってこれが最後の広島市内である。

宮島口にとうちゃこ。それほど混雑していたわけではないがここで多くの乗客が下車し車内は閑散となった。

宮島こと厳島を眺めながら列車は走る。

おっ、あれは大竹のコンビナートかな?

大竹とか隣の岩国とかの石油化学コンビナートは瀬戸内工業地域の主力の一部である。ここで間違えがちなのが「工業地帯」ではなく「工業地域」ということ。日本の工業地帯は京浜、中京、阪神、北九州の4つでそれ以外は「工業地域」。小学生の時塾で習った。ただね、当時から北九州工業地帯の衰退がいろいろ言われてて実際に鹿児島本線に乗ると昔の様子を知っている人間的にはそういうのが実感できる。

というわけで大竹にとうちゃこ。広島の最西端の駅である。昔は隣が岩国だったけど今は和木駅が設置された。

というわけで終点の岩国駅にとうちゃこ。

ここは山口だけど僕的にはここまでが広島エリア。さぁここからが長い長い山口県。僕が高校生の頃、18きっぷで九州に向かう場合ここから下関がほんと長くてねぇ。車窓も田舎者の僕がいつも目にしているような田舎の景色が延々と続きたまに海が見えた時以外は非常に退屈な区間。夜ともなれば海も見えないのでそれはそれは苦痛な区間で「魔の山口」って勝手に呼んでた。今は別に都会人になったわけではないが都会の姿も田舎の姿もバランスよくみられるようになり特に苦痛と思うことはなくなった。暇なら寝るし。電車に揺られながら寝るというのも贅沢な時間である。というわけでここからは山口の旅が始まる。