皆さん おはようございます。 本日は、1月17日 兵庫に住む人にとっては 忘れられない日でしょう。 あの大震災から26年が経ちました。 震災の大きな被害に遭われた方々 お見舞い申し上げます。

 

 あの日 私は、以前 御紹介した仁川のマンションに住んでいました。 揺れが始まったのと同時?? ぐらいに 目が覚めまたと思います。 ベッドの上で四つん這いになって 小さいタンスの上のテレビが落ちていくのを見ていました。 ドシャドシャガラガラ という音がしていたと思います。 揺れが治った時 仕事の関係で 隣の部屋に寝ていた 妻のもとに行きました。 幸い大きなタンスは ずれただけで 倒れておらず、怪我も無く2人とも無事でした。  その際 暗いはずの窓の外で 稲光みたいなものが見えたのを 今でもはっきりと覚えています。

 別の階に住んでいる 両親の無事を確認し 明るくなって来て 自宅に戻りました。 もちろん異様に静かで電車の音もしませんでした。 7時40分ごろに 電気だけがつきました。テレビをつけると 阪急今津線で 脱線しているというのを 見た気がしました。 窓の外 大阪の方向に 煙が真っ直ぐ 3本伸びているのを覚えています。 少し 落ち着いて 少しだけ 散乱しまくった 家の中を 片付けました。 最初の大きな揺れは ドンと東から西に揺れたのでしょうか 部屋の西側の家財道具は ずれただけでしたが 東側の家財道具はダメでした。 自分の部屋に戻ると その

東側にあった 大きな本棚が 寝ていたベッドの上に倒れていました。 ガラス戸はぐちゃぐちゃに割れていました。  もし 揺れと同時に目が覚めて起きていなかったと思うと ゾッとしました。

 

9時ぐらいになり、少し落ち着いて来たところで 宝塚駅方面の職場に向かうことにしました。 その時は、自分が無事だったこともあり 後に大変な被害が出ていることも知らなかったので 軽い気持ちで カメラを持って出かけました。  今津線から 少し離れた道を 自転車を押しながら 歩きました。 遠くで少しサイレンの音がするだけで 静かでした。 小林駅の手前で メキメキバリバリという音がしたので 路地を曲がってみると 木造の家屋がくずれた音でした。 しかし 周りには 人影はなく 静かでした。  それ以外は、特に倒壊したものもみることもなく 宝塚南口まで来ました。  そして 橋の上から 大劇場方面を撮影しました。

 

一見 全く被害がないかのように見えますが、大劇場の横の今津線には。

 

丁度 このカーブに差し掛かったところで 地震に遭遇した 6025F+2250Fです。  あと15秒遅ければ 鉄橋に差し掛かっていたかもしれません。

橋を渡って 遠目から。 樹木のところが先頭の6025号車です。4両目まで大きく傾いていました。

 

 

カーブに近づいきました。 前から5両目の 2721号車の屋根が大きく凹んでいました。 激しいゆれで架線柱に激突したと思われます。

 

右端が2721号車。その左上半分しか見えないのが2720号車。 その前の2250号車から6025Fは大きく傾いて見えませんでした。

 

最初は、地震の時の画像を後悔するのは 被害に遭われた方が 不快に感じるのではないか と 思いもしましたが、 こんなこともあったと 思い出すことによって 次に生かすこともあるのではと思い 2年ぐらい前にも一度 御紹介しました。  この記事を作成している 今 ニュースで コロナ禍に伴い 密になるのを避けるため 震災の集いを 2回に分け 前日の夕方 5時46分にも行われたそうです。

私も 黙祷を捧げたいと思います。