平成4年(1992年)1月11日(土) 

キハ58系気動車と大学入試センター試験

(個人的な体験談)

【令和3年1月18日一部修正】

【追記 令和4年1月13日】

 

※今回のブログは、個人的な事情や体験談、失敗談、トラブル等の記載が多いです。

 

1 はじめに

(1)大学入試センター試験について

<客観的事実>

〇「大学入試センター試験(いわゆるセンター試験)」は、平成2年から令和2年まで、いわゆる大学入試センターにより行われていた、日本の大学の共通入学試験であります。

 (参考文献)下記の通り

〇令和3年(2021年)1月16日及び17日に実施される「大学入学共通テスト(いわゆる共通テスト)」は、大学入試センター試験に代わる新たな試験として実施されます。

 (参考文献)下記の通り

 

 

(2)平成4年(1992年)1月における、JR嵯峨野線普通列車等について

[客観的事実]

 

①平成2年(1990年)3月ダイヤ改正

 平成2年(1990年)3月のJR嵯峨野線(山陰本線京都~園部間)電化開業により、上りの普通列車については、1本を除き全て113系電車(湘南色)で運行され、下りの普通列車及び快速列車については全て113系電車(湘南色)にて運行されることとなりました。しかし、上り普通列車のうち1本のみ、福知山発京都行きのキハ58系気動車(6両編成。急行丹後7号と同じ編成)の普通列車でありました(平成3年3月ダイヤ改正時の列車番号は820D)。平成4年(1992年)1月においても、この体制がとられておりました。

②①で記載した820Dについて

・この820Dは、平成3年3月ダイヤ改正時の時刻表によると、福知山を5:40に出発し、京都駅には7:42に到着(当時は、山陰3番ホームに到着)するキハ58系気動車でありました。820Dの編成は、上記の通りキハ58系気動車6両編成で、前から2両目はグリーン車でした。

・私の記憶では、この820Dは、京都駅到着後梅小路に回送され、夕方に急行丹後7号東舞鶴行きとして運転されました。(平成4年3月ダイヤ改正時の急行丹後7号のダイヤは、京都16:00発東舞鶴18:06着)

・この820Dの勇姿は次の通りであります。

<引用>ヤフオクで入手したオレンジカード

※ヤフオクで入手したオレンジカード

※このキハ58系気動車は、当時の820D列車と同じ列車だと思われる。

 

 

820Dの勇姿について、上記オレンジカード以外で見つけることができれば、引用しようと思います。

 

③参考 当時の急行丹後のイメージ1

 上記820Dと全く同じ編成のキハ58系気動車については、上記オレンジカードしか見つけることができませんでした(現時点では)。しかし、これだけではわかりにくいため、代わりに、同じキハ58系気動車が使用されている急行丹後の勇姿を引用によりお示しすることでより分かりやすい内容にしようと思います。

<引用> 2枚ともasasio82氏の作品

※2枚とも、asasio82氏のAmebaブログ(アメブロ)「1996年3月保津峡駅5」より引用。使用については、了承を得ております。

※内容は、急行丹後1号網野行きと敦賀行き、とのこと。(グリーン車込みの前4両が網野行き、後ろ2両が敦賀行き)

(この2枚の写真は並河駅)

※URLは次の通り

 

 

 

 

④参考 当時の急行丹後のイメージ2

 急行丹後7号の写真を参考までに引用します(R4.1.13追記)

<参考>

<引用>平成8年3月綾部電化直前の急行丹後(例) ※急行丹後7号

※kami-kitami氏が平成8年3月綾部電化直前の時期に撮影された6両編成の急行丹後の写真。使用については、了承を得ております。

※kami-kitami氏の次のブログにて紹介されています。

 

(ソロ鉄ブログ管理者補足説明1)

※これは、綾部電化直前の山陰本線園部~綾部間を走行する、京都発東舞鶴行き急行丹後7号と考えられる。

 

(ソロ鉄ブログ管理者補足説明2)

※(参考)昭和62年11月における急行丹後3号は、当時の時刻表によると、6両編成でグリーン車は京都寄りの2号車に連結されていた、とのことなので、ネットにて残っている写真ではこの写真が昭和62年11月の急行丹後3号の姿に最も近いと考えられる。

 

 

⑤参考 当時の急行丹後のイメージ3

<引用>PIXTAで購入

【コピーライト表示】

素材番号56805821

クレジット(作者名表記):F4UZR氏/PIXTA

<写真提供:PIXTA…ロイヤリティフリー素材>

 

(ソロ鉄ブログ管理者補足説明)

この写真は、「写真素材:1996年 山陰線を走るキハ58系急行丹後6両」と書かれているが、よく見ると八木~千代川間で撮影された上りの急行丹後で、時期は1月~3月に撮影されたと思われる。時間は午前中と思われる。

 

 

⑥当時の京都駅

当時の京都駅の駅舎は、現在(令和3年1月現在)と異なり、次の通りでした。

<引用>

※ヤフオクで入手したオレンジカード

 

 

⑦参考 当時の京都駅のホーム

 現在(令和3年1月現在)の京都駅30~33番ホームは、当時は山陰1番ホーム・山陰2番ホーム・山陰3番ホーム・山陰4番ホームでした。そのイメージは次の引用写真の通りであります。

<引用> asasio82氏の作品

※asasio82氏のAmebaブログ(アメブロ)「1993年8月京都駅14」より引用。使用については、了承を得ております。

※内容は、平成5年(1993年)8月の京都駅で、山陰2番ホームに停車中の列車は特急あさしお1号倉吉行き、その隣の山陰3番ホームの列車は京都駅に到着した特急あさしお2号、とのこと。

※参考までに、山陰4番ホームの電車は113系電車(湘南色)の普通列車園部行き、とのこと。

※URLは

 

 

 

<京都駅関係>

※平成4年3月の時刻表では、JR嵯峨野線の普通列車(113系電車(湘南色))は主に山陰1番ホーム及び山陰2番ホームから発車し、特急あさしおと急行丹後は主に山陰3番ホーム及び山陰4番ホームから発車していた(寝台特急出雲3号は2番ホームから発車)。

※平成5年3月の時刻表では、JR嵯峨野線の普通列車(113系電車(湘南色))は主に山陰3番ホーム及び山陰4番ホームから発車し、特急あさしおと急行丹後は主に山陰1番ホーム及び山陰2番ホームから発車していた(寝台特急出雲3号は2番ホームから発車)。

 

<当ブログでは>(当ブログにおける事情?)JRの場合、正確には、例えば京都駅30番線、という言い方をする、という話もあるようですが、当ブログでは、当面、京都駅30番ホーム、という言い方で表現したく思います(その方が分かりやすいと考えるため)。(R3.1.18追加)

 

 

 

 

 

2 大学入試センター試験受験(個人的な体験談)

(1)大学入試センター試験受験

 私は、平成4年(1992年)1月11日~12日にかけて、大学入試センター試験(以下「センター試験」という)を受験しました。当時、私は高校3年生で18歳でした。

 今回のブログでは、平成4年1月11日(土)の個人的な体験について記載します。(ちなみに、1992年のセンター試験は、3回目のセンター試験でありました。)

 

(2)平成4年1月11日 往路

 ①JR嵯峨野線上り820Dに乗車

 八木駅で、上り820D(キハ58系気動車、6両編成)に一人で乗車しました。一番前の車両に乗りました。(820Dは、八木駅6:59発)

 ②820Dにおけるトラブル

 820Dの一番前の車両に乗り、進行方向右側の窓席に座り試験勉強のための本を開いたところ、50代くらいの男性(一般の乗客)に呼びとめられ、「おい(怒)、閉めなさい(怒)」と怒られました。やむを得ず、デッキとキハ58系客室をつなぐ扉を閉めに行きました。(言い訳:私としては、あいた状態のままだったので、閉めなかったのだが、と認識)

 ③京都駅におけるトラブル

 京都駅到着後、会場である「京都大学北部構内試験場(京都大学農学部)」に向かうため、京大農学部前のバス停に向かうバス(京都市営バス)を一人で探していたがどのバス停か分からず、京都駅の案内所の男性職員(40代くらい?)に聞いたところ、京大の方に行くバスを案内されたが、京大農学部へ行くバスではなかったため、受験票を見せてセンター試験を受けに行くことを伝え、京大農学部前のバス停に行くバスのことを再度聞くも「試験受けにいかはるんでしょ(怒)」と逆に言われる。結局、京大農学部前のバス停に向かうバスのことは全く分からない状態で案内所を離れる。そのあと、同じクラスの人と合流することができ、その同級生についていくこととした(京都市営バスでその同級生と京都大学に向かった)。しかし、結局、京都大学農学部ではなく、時計台のある本部構内(当時の呼び方は分かりません)の中を同級生とウロウロすることとなり、京都大学農学部の試験会場にはギリギリの時刻に到着しました。

 この状況をわかりやすくするためには、京都大学吉田キャンパスの地図を提示する必要があるため、次の通り引用します。

<引用>京都大学吉田キャンパス(令和3年1月)

引用元:京都大学ホームページ「京都大学キャンパスマップ」より引用(令和3年1月現在のマップ)

 

 

 

(3)平成4年1月 センター試験 時間等(京都大学北部構内試験場)

①時間等は次の通り。(当時の受験票等は存在しないが、当時自分で、手書きでまとめた資料のスキャンを添付します)

ちなみに、私は、英語、数学(A、B)、国語、日本史、生物を受験しました。

 

 

 

(4)平成4年1月11日 センター試験1日目

①ソ連崩壊(1991年12月末)に関する説明

 試験開始時、問題用紙に書かれている「ソ連」については、「旧ソ連」である旨黒板に書いて試験官が説明された。

 

②私自身の、センター試験1日目

 数学が全くできませんでした。個人的には、この時の数学の問題は、2次試験並みに難しいと感じました。取れた点数は、数学Ⅰは42点(満点は100点)、数学Ⅱは12点(満点は100点)でありました。

 

 

(5)平成4年1月11日 復路

 京都市営バスにて京都駅に戻り、113系電車(湘南色)の普通列車で八木駅まで戻りました。(詳細は覚えていません)

 

(6)平成4年1月12日 センター試験2日目

 印象にのこっていないため、記載省略

 

(7)センターリサーチ結果(河合塾)

私自身のセンターリサーチの結果は次の通り

 

 

 

<参考文献> 

・ウイキペディア

・「【Q&A】大学入学共通テストとは?センター試験からどう変わる? [大学受験] All About」のホームページ

・『JR時刻表(弘済出版社)』(1991年3月号)

・『JR時刻表(弘済出版社)』(1991年7月号)

・『JR時刻表(弘済出版社)』(1992年3月号)

・『JR時刻表(弘済出版社)』(1993年3月号)

 

 

 

※今回のブログに掲載の資料や写真等については、全て転載等禁止。

※引用箇所の写真について、転載等禁止。

※カバーの写真については、引用箇所の写真を使用。

 

 

 

 

<参考 Pick>

 

 

 

 

 

 

 

 

本日も最後までご覧いただきありがとうございました。