こんにちは。今回は、近鉄田原本線についてお送りします。

田原本線は、王寺にある新王寺駅から西田原本まで向かう路線で、3年前にめでたく開業100周年を迎えた路線です。

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 ↑つどいと並ぶ復刻塗装

今は注目されているのかわかりませんが、100周年の時は復刻塗装が走るということで一時期人気が高い路線でしたね。この路線については調べれば調べるほど近鉄でも面白い路線です。今回は、個人的に面白いと思うことについてお送りします。

目と鼻の先にあるのに生駒線と線路が繋がっていない王寺駅
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 ↑新王寺駅に停車する田原本線の列車
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田原本線の起点駅の新王寺駅は、生駒線と目と鼻の先あり、頑張れば接続できそうな構造になっています。むしろJR王寺駅の構内に2つの路線の駅が存在する格好になっています。では、何故このような隣接しているのに接続していないのか。これは、田原本線と生駒線を運営していた会社が異なるからです。田原本線は、大和鉄道、生駒線は信貴生駒電鉄の路線として開業しました。その後、田原本線は生駒線と同じ信貴生駒電鉄の路線となり、1964年には近鉄の路線となりました。そもそも両線の建設の目的が異なるので王寺駅もこのような構造になったのではないかと思います。王寺駅前も最近になって綺麗に整備され、延伸できなさそうな感じになったのでこれからも延伸されることはないでしょうね。

かつては桜井まで路線が伸びていた田原本線
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 ↑左は、鉄道歴史地図より。右は奈良県大和鉄道のPDFファイルより

田原本線は、現在は橿原線の田原本駅に隣接する西田原本までですが、かつてはその先の桜井まで伸びていました。駅は、6駅あったようです。大和鉄道は、桜井から先の名張、宇治山田まで延伸計画があり、この内の名張までは用地買収までしていました。しかし、大阪電気軌道が大阪線を建設したことなどによる収入の減少、資金難のため大和鉄道は諦め、その後に大阪電気軌道の傘下に入ったようです。この桜井延伸も不要不急路線として1944年に休止、1957年に廃止されました。もし田原本線が今も桜井まで伸びていたら、王寺から桜井、大神神社へのアクセスとして機能していたことでしょうね。

市を通らない、全国でも人口が2番目に少ない町を通る
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 ↑全国でも2番目に少ない町の三宅町を走る田原本線の電車

他のブログでも取り上げられていますが、田原本線は沿線に市がない路線です。起点駅の王寺は、王寺市と思いきや、こちらも王寺町ですので一つも市を通りません。また、全国でも2番目に人口が少なく、奈良県では一番人口が少ない町の三宅町を通る路線です。ちなみに三宅町にある但馬駅と箸尾駅間との間は鉄道写真を撮るのに良いスポットが点在しており、雑誌などでも田原本線の撮影地としてよく出てきます。

独立路線の田原本線
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  ↑西田原本で発車を待つ田原本線の電車

田原本線は、近鉄の路線としては唯一の他の路線と接続していない独立路線となっています。なので両起点駅は一度改札を出て乗り換えることになります。ただ、車両に関しては西田原本駅付近にある連絡線が橿原線と繋がっているのでこの連絡線経由で西大寺の車両基地に回送しています。近鉄には、橿原線と大阪線とを繋ぐ新ノ口連絡線、名阪特急が走る中川短絡線など多くの連絡線がありますが、乗客が今後も乗れない近鉄の連絡線は、この田原本線の連絡線だと思います。ツアーとかでも田原本線の運行ダイヤの関係で難しそうですしね。

以上が田原本線のいろいろなポイントについて紹介しました。他にも奈良線で活躍していた時に爆破された車両やSLと田原本線とのコラボが撮れるスポットが沿線にあるなど魅力に尽きない路線です。皆さんも是非復刻塗装の車両を狙いに田原本線に行かれてみては如何でしょうか。
※復刻塗装の車両に関しては、奈良線、京都線、橿原線との共通運用のため、運用していない可能性があります。

↓↓今回取り上げた田原本線と生駒線について動画内で車窓と共に紹介しています。生駒線メインではありますが、良ければ是非ご覧ください↓↓