皆様こんばんは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

昨夜は当ホームページ キハ58系イラストのうち、発電動機箱の表現を修正することになりキハ27・キハ28・キハ56・キハ57全車の修正が完了しました。ですので今日からは本来続けていたイラスト修正を継続してゆきました。

 

今日はキハ28の昭和37年度予算で製造された車の残りとなる177~203を修正・更新しました。30両近く一気に仕上げましたので、今回はその第1弾として昭和37年度第1次債務のうち東急車両製となる177~189をご紹介します。

 

今回のホームページ更新では新たにキハ28 178・182・2187が加わり、修正したのは2177・179・181・2183・2184・2185・2186・2188でした。この中から特徴のある車をご紹介しましょう。

 

キハ28 179

↑キハ28 0番台車は冷房化率が高く、非冷房車は25両のみで0番台203両中の12%に過ぎません。キハ28全体の非冷房率が20%、キハ58の非冷房率が30%であることを考えると、割合的には冷房率が高いことが分かります。これは東北地方に0番台車があまりいなかったことに起因します。そんな中数少ない東北地区に在籍したキハ28 0番台非冷房車です。当車はJRへ継承された非冷房キハ28の最若番になります。形態的にはあまり特徴はありませんでしたが、国鉄からJRに継承される際、中部以西ではキハ58系冷房車の廃車が進んでいました。なのでこのような非冷房キハ28をJRに継承するくらいなら他区の冷房車を東北に回せばよいのにと思ったりしましたが、当時既に山形や秋田のキハ58系の用途は普通列車がメインでしたので、無理に冷房車を入れなくても良いと判断されたのでしょう。

 

キハ28 182

↑先ほどご紹介したキハ28 179を含め、177~182は小牛田及び盛岡など東北地区に新製配置されました。その中で178とこの182は晩年に東北地区を追われて九州へ転じたグループでした。急行型車両に大幅な余剰の出始めた「53-10改正」以降普通列車への転用が加速しますが、この中で中部以北の非冷房車を九州へ転属させてキハ55系やキハ20系初期車を置き換える動きがありました。ただし1エンジン車はキハ40系の新製で置き換える流れが強く、キハ40系で置き換えできないキハ55をキハ58で置き換える動きがメインでしたので、1エンジンのキハ28非冷房車の九州への転出はあまり多くありませんでした。当車は水戸に在籍し主に仙台・新潟方面の急行で使用されていましたが、「53-10改正」で和歌山からキハ58が水戸へ転入した玉突きで直方に転じました。以降1984年の廃車まで筑豊地区の普通列車で使用されていましたが、九州では珍しく晩年までシャッター式タイフォンのままでした。

 

キハ28 2188

↑国鉄~JR車では数少ない車籍復活車です。いわゆる不死鳥!? 単純な譲渡車を除く車籍復活車というと、JR貨物が国鉄清算事業団から導入したEF65やED75などの機関車の他、JR四国では111系に車籍復活車がいます。気動車はJR九州が国鉄清算事業団から購入したキハ28 2188、キハ58 245・265の3両でした。この車はそれ以外にも非常に珍しい経歴を持っており、当車は新製時から「53-10改正」時までずっと東北におり1978年の時点では八戸在籍で急行「なつどまり」や「千秋」で活躍していました。しかし同改正で中部地区の非冷房車の残党が整理され名古屋から非冷房のキハ58 789が八戸へ転属すると入れ替わるように当車は浜田へ転属しました。浜田では「53-10改正」直前までは急行「石見」にキハ55系が引き続き使用されていたのでこれを置き換える目的での転入でした。同改正では向日町から非冷房のキハ28 84・199も転入しました。そしてこのキハ28 188と199はキハ58系冷房化最終年度となる1979年度に滑り込みセーフで冷房化され、188は1979年12月20日付で2188になりました。1978年以降は各地から余剰の冷房車を工面して急行の冷房化を進める政策がメインになりましたので、1979年に冷房化された188はラッキーな車でした。そして「60-3改正」で急行「石見」の廃止や「だいせん」の縮小が行われた際に一路志布志へ転じ、ボロボロのキハ25や26を置き換えて日南線・志布志線・大隅線で普通列車で活躍するようになりました。つまり1978年以降に八戸から浜田を経由して志布志という、北海道を除くエリア内でほぼ最北から最南端まで移動した車になりました。そして国鉄末期の志布志線・大隅線廃止により余剰となり国鉄と共に一旦使命を終えました。しかしJR化後の旺盛な需要から1988年に復活し再び鹿児島地区で使用されました。外観上は東北時代の面影は殆ど残っておらず、米子地区の雰囲気が強く残った車でした。

 

 

↑南宮崎駅にて、日南線で使用されるキハ28 2188です。これが以前は急行「なつどまり」で八戸線や大湊線を走行していたなんて、感慨深いものがありますね。

 

最近ちょっとネタ不足なのでホームページ更新を行った車両のうちの一部を小出しでご紹介しました。次回はこれの続きで同じく昭和37年度第1次債務のうち「帝国車両」製の車をご紹介したいと思います。

 

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。それでは次回もお楽しみに!!

 

是非私のホームページ

 

http://kami-kitami.sakura.ne.jp/index.html

 

にもキハ58系各車の解説がありますのでご覧になってください。