このヘッドマークに懐かしさを覚える関西っ子、神戸っ子は多いと思います。

今から40年前の1981年、人口島ポートアイランドで開催された 「神戸ポートアイランド博覧会」 。世間的には 「ポートピア ’81」 という愛称の方がしっくりくるのではと思いますが、ここで記しておきたいのは、あの人口島は 「ポートピア」 を開催するために造成されたわけではなくて、別の目的があって埋め立てたものです。で、 「せっかく造成するのだから、そこで博覧会を開いて内外にアピールしたい」 と当時の神戸市長が博覧会開催を含めたイベントを検討したことに端を発します。造成工事は昭和41年から行われ、博覧会開催を視野に入れたポートアイランド活用案を提示したのが昭和50年になります。昭和53年にはプロジェクトチームを立ち上げ、基本概要を決定。兵庫県や神戸市をメインにした出展業者も募り、着々と準備を進めました。ポートアイランドの造成工事も博覧会開催予定である昭和56年にはほぼほぼ完成し、3月の開会にこぎ着けました。

 

「ポートピア ’81」 は、昭和56年3月20日から同年9月15日まで開催されて、延べ1,600万人の来場者を集めました。神戸新交通 「ポートライナー」 はそのために開通させた新交通システムです。もっとも、 「ポートピア」 閉幕後は、ポートアイランドと神戸市の中心街とを結ぶ動脈になるのを約束されていましたけどね。

 

国鉄も神戸市内を行く私鉄も昭和45年の大阪万博ほどではないにしても、 「ポートピア」 関連の臨時列車を多く走らせましたが、画像の列車もその中の一つだと思われます。

臨電に充当される485系は向日町運転所 (大ムコ~現在のJR西日本吹田総合車両所京都支所) か金沢運転所 (金サワ~現在のJR西日本金沢総合車両所) のいずれかだと思われますが、よく見ると7両編成です。なので、もしかすると金沢の車両で、特急 「加越」 の編成をそのまま活用しているのではないでしょうか? 編成の中には489系も含まれているかもしれません。ということは、撮影地は北陸本線内でしょうか。

 

昭和56年といえば、北の方では新幹線開通が刻々と近づいていて、485系にとっては50.3改正に次ぐ大きな転換期を迎えようとしている時期とリンクしますが、それでも485系はまだまだ働き盛り。北陸や常磐、九州などでの新たな働き場所を見出すことになりますが、その一方で 「国鉄離れ」 に端を発する利用者減少で編成の短縮化も進んでいました。食堂車の営業取り止めや食堂車そのものの連結中止も彼方此方で始まっていました。喜んでばかりはいられないということでしょうかねぇ~。

 

【画像提供】

ウ様

【参考文献・引用】

ウィキペディア (神戸ポートアイランド博覧会、ポートアイランド)