鏡開きである今日は「蔵開き」や「塩の日」ですが、今回は22年前に開業した井原鉄道 井原線について紹介させていただきます。

イメージ 43蔵開きは、商家などで新年初めて蔵を開き、商売繁盛を祈る行事で、江戸時代に大名が行った米蔵を開く儀式がその起源とされています。

塩の日は、「敵に塩を送る」という言葉の語源となった戦国時代の武将、上杉謙信と武田信玄の故事に由来、1569年1月11日(旧暦)に武田信玄のもとに塩が届いたそうです。(写真は渋谷にあった「たばこと塩の博物館」)
では本題に入ります。

【井原鉄道井原線】
平成11年1月11日11時11分11秒(1999年)に、
井原鉄道 井原線 総社駅~神辺駅間が開業しました。
井原鉄道井原線は、岡山県総社市にある総社駅(そうじゃ)と広島県福山市の神辺駅(かんなべ)を結ぶ15駅41.7Kmの路線です。(路線図は井原鉄道ホームページから抜粋)
一部列車は、JR福山駅からJR神辺駅までJR福塩線へ乗り入れてます
JR福塩線
総社駅~清音駅間は、JR伯備線との共用区間になっている(写真は倉敷~総社を走る特急やくも号)

国鉄 井原線として1966年から工事が行われていましたが、赤字続きの国鉄を再建する「国鉄再建法」が1980年に施行され建設が中止となりました。
田舎議員の票集めのため全国で採算度外視の鉄道路線を作りまくる「我田引鉄」のツケが国鉄に押し付けられた結果、井原線の建設も中止に追い込まれました・・・
(イメージ写真 / 紀勢本線のどこかの駅にてアセアセ)

※国が認可した鉄道路線を鉄道建設公団が建設し国鉄に貸付・譲渡、数多くの赤字ローカル線を国鉄に押し付ける形となり、不動産などの副業を禁じられていた国鉄の経営を圧迫していた。

1986年に岡山・広島県と周辺自治体が中心になり設立した「井原鉄道」が、すでに完成していた高架線や路盤を利用し1987年から工事を再開、1998年6月30日にレール締結式が行われ翌年1月11日に井原線が開業しました。
井原鉄道開業当初から使用しているIRT355形は、1998年から新潟鐵工所の地方鉄道向け車両「NDCシリーズ」を元に一般車両0番台10両とイベント車両の100番台2両の計12両が製造された355馬力の気動車です。
JR福塩線105系と並ぶIRT355形
JR西日本のキハ120とそっくりなIRT355形は、キハ120と比べ高出力のエンジンを搭載(キハ120形0番台・300番台が330馬力、200番台は250馬力)しているほか、クロスシートの数が多いなどの相違点があります
IRT355形は、Z34日産フェアレディZニスモと同じ馬力(写真はWikipediaから抜粋)
2005年に200番台となった「夢 やすらぎ号」(水戸岡鋭治デザインのイベント列車)1両が増備されて計13両となりましたが、2015年にIRT355-07が廃車となりミャンマー国鉄へ譲渡しました。

2018年西日本豪雨の被害を受けおよそ1ヶ月半にわたって運休した影響で、利用客が減少し2018年度の決算が4年ぶりに赤字となりましたが、割引切符を活用した企画やイベントで利用客を呼び込んだ結果、2019年度上半期の利用客数が59万5665人と前年同期比で26.1%増えたそうです。

コロナ禍でさらに大変な井原鉄道さんには、これからも頑張ってもらいたいですね。

今回も最後までご覧下さり、ありがとうございました!

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