旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

悲運の貨車〜経済を支える物流に挑んだ挑戦車たち〜 アイディア商品でもあったSVS・チキ100【2】

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 〈前回からの続き〉

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 しかしながら、新機軸を投じた新しい形の輸送形態として期待されたものの、チキ100は5両が改造されただけで、それ以後の増備はありませんでした。

 SVSには多くのメリットもあったのですが、実際にはデメリットもあったのです。

 貨物駅までやってきたトラックは、荷役をするためには必ず貨車に横付けしなければなりません。そのために、貨車はトラックが横付けしやすいコンテナホームなどの線路上に留置されてなければならず、すべてのバンボディコンテナの荷役を終えるまでは、その線路を占有した状態でいなければなりませんでした。

 貨物駅には大規模のターミナル駅ならともかく、運用する駅によってはそうした状態で貨車を留置できるほど施設に余裕があるわけでもなく、トラックも道路の渋滞などで遅れることもしばしばあるので、駅で待機させなければならなかったのです。

 また、バンボディコンテナを積むトラックも、特殊な機構を備えなければならないなど、他のトラックとくらべて割高になってしまい、開発当初の構想よりも普及しないと考えられたのでした。

 SVSの荷役の実演を関係者に披露していた貴重な写真。多くの関係者関心を寄せていたことがこの写真からも分かり、JR貨物の期待も大きかったことが窺える。 出典:Twitter ©@223playmount

 加えてスワップボディーコンテナの登場により、スライドボディコンテナの存在意義そのものが失われたのでした。スワップボディコンテナは、トラックのシャシーからバンボディを取り外しができる点では同じでしたが、通常のコンテナ車に積載できる点で大きく異なるのでした。SVSは専用の貨車を用意しなければならず、それを運用するコストをくらべると、通常のコンテナ車の方がはるかに汎用性が高く、運用コストも抑えられるため、SVSのメリットが小さくなってしまったのです。

 さらに、JR貨物が推進していた架線下荷役方式が普及し始めていたことも、SVSが普及しないことにもつながっていました。そもそもSVSは、荷役の簡略化による時間の短縮とコストの軽減を狙っていました。専用のトラックを貨車に横付けして、すぐにコンテナの積み下ろしができるというものでしたが、SVSとチキ100が開発された当時は、国鉄時代のコンテナ積み下ろしの方法を踏襲していました。

 この国鉄時代の方式とは、駅に到着したコンテナ貨物列車は着発線に停車し、そこで牽いてきた機関車を切り離して入換用のDE10などに付け替え、そこから入換作業によってコンテナホームへ貨車は到着し、ようやく荷役ができるというものでした。

 しかし、この方法では列車の到着から荷役、そして貨物の引き渡しまで時間がかかり、しかも車両の入換作業には入換機関車を運転する機関士や、操車誘導をする駅の輸送係、そして広大な敷地とそこに設置される線路や信号機器といったもの、それらを維持管理する施設・電機の職員が必要になるなど、膨大なコストと多くの職員の労力が必要でした。国鉄時代なら、そうしたことも問題視されません(これ自体が、高コスト赤字体質になり財政破綻の温床だったのですが)が、まがりなりにも民間企業になったからにはそうした高コスト体質を改め、収益を上げなければなりませんでした。

 そこで開発されたのが、架線下荷役方式です。この方法を採ることで、到着した列車は直接コンテナホームへと入り、そのまま荷役が行えるので入換作業が必要なくなります。ただし、この架線下荷役方式では、電気機関車に牽かれた列車が直接ホームへと入るため、線路上には直流1500Vまたは交流20,000Vの電流が流れる架線があります。従来のフォークリフトでは、コンテナを持ち上げたときにこの架線に接触してしまう恐れがあるため、持ち上げ高さにリミッターをつけた架線下荷役対応のフォークリフトを使い、荷役時には架線をき電停止の状態にすることで実現させました。

 この架線下荷役方式の導入で、到着から荷役まで、または荷役から出発までの時間が最大で3時間も短縮することができるようになりました。まさしく、SVS荷役と同じような状態になることができたのです。

 

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架線下荷役(E&S)導入後の横浜羽沢駅。筆者がここに勤務していた時代は、EF66 102が停車している線路は待避線でしかなく、アスファルトで舗装されたコンテナホームは写真奥の駅本屋の部分しかなかった。左に見えるのはかつて荷物列車の発着に使われていた荷物ホームで、この下には地下道があり、右側に見える「管理棟」と呼ばれる所で荷捌きをしていた。この管理棟も、後にヤマト運輸の主管支店が置かれていたが、現在は鶴見区内に移転してしまったようだ。
出典:Wikimedia Commons ©シャムネコ (Shamuneko), CC BY-SA 4.0,

 

 こうした架線下荷役方式の導入もまた、SVSの存在意義を失わせることにつながったのでした。SVSのメリットでもあった、フォークリフトを使わないで荷役ができるというのは、まさに列車がホームに横付けされた時点ですぐに荷役ができるということが、方法は違えど実現し、こちらの方が普及していったのでした。

 このような背景を踏まえ、SVSは試験的要素を含んだ営業運転で終わり、実用化には至りませんでした。いすゞ自動車が部品輸送に使った苫小牧-相模貨物間のSVS輸送も、チキ100の改造から7年後の1996年までには通常のコンテナ輸送に置き換えられ、その役目を終えてしまったのでした。

 ところで筆者が貨物会社に入る頃、SVSやピギーバック、そしてDMTといった新機軸が次々に開発され、将来の鉄道貨物輸送ではこうした新機軸によって大きく変わると教えられました。特に入社説明会では、様々なパンフレットを渡され、担当の方から熱のこもった説明を受け、まだまだ世間知らずの少年だった筆者は、こうした新しい輸送方式が鉄道貨物に変革を起こすだろうと考えたものです。

 しかし実際に研修勤務を終えて現業機関へ配属され、勤務区所となった電気区が管轄していた新興駅、それも大黒ふ頭近くの三地区と呼ばれた旧新興駅の構内側線には、まるで忘れ去られたかのように放置されていたチキ900を見て、少々愕然としたのを思い出します。

 民営化前後から開発された新しい輸送方式は、そのどれもがことごとく失敗に終わり、時間と労力と、そして資金を無駄に注ぎ込んだのではないかと考えさせられたものでした。それというのも、多くが国鉄時代から続けられてきたコンテナ輸送に戻り、新しく開発した輸送方式はコスト面でも不利になるなど芳しい成果が出せず、廃れていってしまったのです。

 とはいえ、こうした試行錯誤をしてきたからこそ、従来からのコンテナ輸送が如何に優れているのかということを再認識できたのは間違いないことでしょうし、車扱輸送のまま残っていた化成品タンク車などを、新たに開発したタンクコンテナへ置き換えることができたのは、不運にも短命で終わった新機軸と、チキ900やチキ100のような貨車達がその道標になったのではないでしょうか。

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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