「ブルートレインブーム」 の頃、常にスポットライトを浴びていたのは東京駅発着の東海道ブルトレでした。50.3改正以降、唯一、ヘッドマーク取り付けが残存したのも、A個室寝台や食堂車連結という、 「ホスピタリティの高さ」 も東海道ブルトレだけに与えられた “特権” で、それが人気に拍車をかけた一因と言えるでしょう。ブルートレインは何も、東京駅発着だけでなく、大阪 (新大阪) 駅発着や上野駅発着の列車もありましたが、東海道ブルトレの前にひれ伏すしかありませんでした。

 

関西ブルトレや東北ブルトレにはヘッドマークも無ければ、食堂車も連結されません。A寝台は列車によっては連結されていたのもありましたが、いわゆる 「プルマン式」 と呼ばれる開放寝台で、個室など以ての外。ビジネスライクっちゃあ、ビジネスライクなんですけど、味気なさは天下一品。東海道ブルトレの場合、 「瀬戸」 と 「出雲」 を除けば、普通に1,000kmを越える走行距離なので、食堂車は不可欠ですし、それだけ長い距離と時間をかけるんだから、プライバシーだって気になります。関西ブルトレと東北ブルトレはどう頑張っても1,000kmいかないので (唯一、 「日本海」 ぐらいか) 、どうしてもビジネスライクな列車に設定せざるを得ません。

 

でも、長く走り続ければいつか、良い事がある。それを身を持って訴えたのが 「あけぼの」 でした。

国鉄時代はブルートレイン全般でも、東北本線の列車という範疇でも目立ちませんでした。ただ、 「奥羽本線の列車」 という地域限定的に括れば多少目立ったのですが、奥羽本線は昼行の 「つばさ」 が主役でしたし、夜行も 「あけぼの」 よりかは急行 「津軽」 の方が何となく格上のような気がしてなりません。何処の職場にも肩書きこそ 「課長」 だ、 「部長」 だのと威勢は良いんだけど、そういうのに限って冴えない人、いませんか? 「あけぼの」 もそんな立ち位置で、 「特急」 という肩書きを持っているにもかかわらず、前述のように 「つばさ」 と 「津軽」 に頭が上がらない冴えない上司みたいな列車でした。それを実証するかの如く、最後まで20系客車を後生大事に使っていました。20系の老舗列車 「あさかぜ」 が24系に置き換わった後、残っていたのは 「北星」 「北陸」 、そして 「あけぼの」 でしたが、53.10改正で 「北星」 と 「北陸」 が14系に置き換わってしまい、この段階で残ったのは 「あけぼの」 だけになってしまいました。

東北方面のブルトレといえば 「ゆうづる」 が筆頭に、ブルートレインではないけど、583系を使った 「はくつる」 が2トップで君臨し、そこに 「あけぼの」 と 「北星」 が絡む縮図でした。

 

そうは言っても、 「あけぼの」 は秋田地方や青森県津軽地方にはなくてはならない存在で、それが寿命を延ばした一つの要因ですよね。後年、 「出羽」 や 「鳥海」 も寝台特急になりましたけど、逆に 「あけぼの」 の前にはひれ伏すしかありませんでした。

53.10以降、 「最後の20系特急」 という形容詞が付くようになった 「あけぼの」 。急行 「津軽」 が 「出世列車」 と言われた時期、真っ先に売れたのがA寝台だったとか。 「あけぼの」 もそれに肖ったかどうかは定かではないのですが、20系時代、A寝台を2両連結していました。20系全盛時代の九州特急は別格にしても、A寝台を2両も連結するのは 「あけぼの」 が唯一・・・じゃなくて、20系時代の 「ゆうづる」 もA寝台2両連結していました。55.10改正で24系に置き換わった時も20系時代を踏襲してA寝台を2両連結した記憶があります。それだけ需要が高かった証しといえるでしょうね。

画像の 「あけぼの」 は牽引機関車にヘッドマークが付いていることから、如何にもヘッドマーク復活後の姿と思いがちですが、客車が20系ですので、55.10改正よりも前、昭和40年代の姿ではないかと思われます。上野口のブルートレインは関西ブルトレよりも早く、昭和48年10月の改正でヘッドマークの取り付けが廃止されてるので、少なく見積もっても48.10以前だと思われます。

 

東海道がセンターだった国鉄時代のブルートレインは、民営化後に立場が逆転します。 「北斗星」 の登場です。

国鉄末期からブルートレインは斜陽化の一途を辿っていましたが、東海道ブルトレはそれが顕著に表れ、 「カルテット」 や 「ロビーカー」 の連結、EF66を牽引機に抜擢するなどして一時期的に盛り上がりはしましたが、 「北斗星」 が登場すると、もはや時代は 「北斗星」 主体になってしまいました。 「北斗星」 運転開始の翌年に、団体臨時扱いながら 「トワイライトエクスプレス」 が鳴り物入りで登場すると、東海道ブルトレは相手にされませんでしたよね。 「あけぼの」 もこの2トップに隠れながらも、自身の課せられた使命を黙々とこなしていました。その頃になると、東海道ブルトレは殆ど消え去り、関西ブルトレもほぼほぼ全滅。 「北斗星」 も後年登場した 「カシオペア」 に主役の座を奪われてしまいましたが、それでも人気はありました。

 

気がつけば、国鉄時代から運行されているブルートレインは 「あけぼの」 と 「北陸」 のみになっていました。しかも 、 「国鉄」 を色濃く残す列車として大きな注目を集めることになります。

「あけぼの」 も 「北陸」 もJR化後に設定された個室寝台を連結していたものの、随所に14系や24系のオリジナル車両が混ざり、それも人気に拍車をかけた一因になりました。 「北斗星」 も 「カシオペア」 も水準は桁外れなんだけど、 “夜汽車” を堪能するのは 「あけぼの」 だという支持層もあったりして、廃止直前の切符はプラチナチケットになるほど。国鉄時代から知る者にしてみれば、 「何だかなぁ~」 って嘆きたくなります。

 

「頑張っていれば、いつか報え割れる時が来る」

先日、お亡くなりになった俳優の福本清三氏と被せています。

 

さて、 「THE JNR LEGEND」 も次回は800回目になります。

一応、ネタは決まっていますので、期待半分にしてお待ち下さい。

 

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タ様