平成まで生き残った旧型電車

ご長寿電車の知られざる秘密

 

 

東急目蒲線(現:東急多摩川線)では、平成元年(1989年)まで、非冷房の旧型電車がギリギリまで活躍していました。

 

ライトグリーンに塗られた旧型車両が度重なる改良を受けながら、50年以上も目蒲線で生きながらえたのには、他の東急線への投資や経済状況の変化なども大きく起因していました。

 

かつて、東急田園都市線の二子玉川園(現:二子玉川)から渋谷までの地下区間、新玉川線と呼ばれ、この区間への投資を最優先したために、投資重要度の低い池上線・目蒲線は車両の置き換えが後回しにされました。

 

冷房もなく、東横線等で活躍している最新型電車と比較すると乗り心地もあまりいいとは言えない旧型電車でしたが、投資も落ち着き、ステンレス車両を池上線や目蒲線に配備できるようになると、順次引退していきました。

 

晩年は池上線を撤退し、横浜にある長津田検車区・長津田車両工場に回送できるように目蒲線に集約されたとか。

 

その後は平成に入り全車両が営業を退いたのですが、1994年まで一部車両に限り、緊急予備車両という形で残った車両もいたそうです。

 

また、一部は青森県の十和田観光電鉄に追加譲渡され、2000年代まで運用されました。

 

小回りも効き、性能も目蒲線の実情にマッチしていた旧型電車、今では姿を見ることもできなくなりました。