皆様こんばんは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

とうとう緊急事態宣言が発令されてしまいましたね。私は普段から殆ど出歩いていないので生活にあまり変化はありませんが、色々影響のある方も多いと思います。このまま冬が過ぎ通常のインフルエンザが収まる感覚で収束してくれると良いのですが…。

 

今日は来週からの在宅勤務に備えて色々忙しかったのであまり活動はできませんでした。とりあえずホームページを更新いたしましたのでご紹介いたします。今回もキハ28イラストの修正・更新で、キハ28の昭和37年度民有債157~176にあたる 2157・2158・2159・2160・2162・2163・2164・2165・2166・2168・2169・2171・2174・2175・2176の15両分を更新しました。

 

キハ28の0番台車は本当に冷房化率が高いです。0番台があまり東北地区に居なかったというのが理由として大きいです。

 

今日もネタ車を簡単にご紹介したいと思います。

 

↑新津にいたキハ28 2168です。飯山線を追われたキハ52が新津に来るまでの間活躍していました。キハ28 0番台の更新車で、比較的少数になります。この車の特徴は屋根上で、元水戸車であることからクーラー配置が常磐無線対応になっていることに加え、クーラーがこの時代にしては珍しく角型のAU13のままでした。そもそもキハ58系の冷房化が行われた際、グリーン車の100番台新製冷房車及び冷改車までは角型、モデルチェンジ車のグリーン車及びキハの冷改車は小判型のAU13でしたので、キハへの角型搭載は後天的な載せ替えになります。それにしても極めて少数でしたし、検査の度に交換されるなんてことは珍しくありませんでした。1990年代後半はこのキハ28 2168と同じく新津のキハ58 503が角型になっていました。

 

↑キハ28 2175

↑キハ28 2176

 

両車ともオレンジ色のJRマークを付けており、JR東海の車であることが分かります。2175・2176ともに貫通ドアに千葉ヘッドマークステイがついておりますが、顔の形態は全然違います。この2両は同一ロットで新製から総武電化の1975年まで仲良く千葉にいた兄弟でした。また両車とも当初は4VKを搭載しない冷房車でした。しかし千葉を追われた際に離れ離れになり、175は豊岡へ、176は直方へ転じました。175はその後1977年に4VKを搭載し2175に改番され、「丹後」「丹波」「但馬」等で活躍しました。対して176は直方へ転出直後に4VKを搭載し2176となりますが、長崎本線が電化された1976年7月の改正による転配で余剰となり、名古屋へ転じます。以降は「のりくら」「紀州」などで活躍しました。その後国鉄最後の「61-11改正」で福知山線電化により同地区の急行が大幅に廃止され、2176は紀勢本線の普通列車に使用されていたキハ35系を置き換えるために伊勢に転じました。そして2175・2176は揃ってJR東海に継承されました。名古屋区と伊勢区で分かれていましたが、以前よりはかなり近づいたものでした。しかし両車ともキハ11やキハ85系の投入により1990年までには廃車になってしまいました。

 

いかがでしょうか。キハ58系には同一区にいた仲間が離れ離れになるケースは多いのですが、その後の転配でまた同じ区、もしくは近所へ集まるという事態も時折見られました。そして再開した時には歴史が異なるため違う形態になっていたというのは良くあることです。このように形態と経歴を照らし合わせて見てみるのも楽しいですね。

 

明日から自粛下の3連休になりますので模型弄りを進めようかと思っています。ネタが溜まるだけ溜まっているので消化しなければなりません。明日以降は模型ネタがメインになるかと思います。

 

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。それでは次回もお楽しみに!!

 

是非私のホームページ

 

http://kami-kitami.sakura.ne.jp/index.html

 

にもキハ58系各車の解説がありますのでご覧になってください。