一頃に比べると、随分と 「減ったな」 と感じるジョイフルトレインですが、それでも彼方此方で観光目的とした列車は走っています。JR東日本と西日本で走らせているクルージングトレインも広義で言えばジョイフルトレインの仲間になるんでしょうけど、そういえば最近、 「ジョイフルトレイン」 という言葉も使われなくなっているようです。鉄用語においてもはや 「ジョイフルトレイン」 は死語なんでしょうか?

 

そこへいくと、国鉄末期、いや、JRになってからか、雨後の竹の子の如く出没しまくったジョイフルトレイン。最初は客車からの改造でしたが、後に気動車、そして電車へと種車が拡大していきました。

画像は、 「ANA」 と表記されていますけど、国鉄末期に登場したJR北海道の 「フラノエクスプレス」 。夏場には航空会社とタイアップしたツアー列車、 「ビッグスニーカートレイン」 として運用されました。ただ、どうも、 「ビッグスニーカートレイン」 として運用されたのは1987年だけのようですね。当初、夏場だけANAのツアー列車に使用されるものと思っていましたが、その場限りだったんだ。ラッピング技術が無い時代、夏と冬とで出で立ちを変えてたら、塗装代がバカになりませんしね。

 

「フラノエクスプレス」 は1986年に登場したジョイフルトレインですが、国鉄北海道総局はその前年に 「アルファコンチネンタルエクスプレス」 を登場させており、 「フラノエクスプレス」 はその第二弾ということになります。したがって、列車のコンセプトや改造内容も 「アルファ・・」 に準じていますが、 「アルファ・・」 が急行形のキハ56系を種車にしたのに対し、 「フラノ・・」 は特急用のキハ80系を種車にしました。登場当初は3両編成でしたが、この 「ビッグ・・」 の運行に際して、1両増結することになり、キハ80系を種車にしながらも車体だけ新造したラウンジ車両を登場させています。

 

「フラノエクスプレス」 は1998年まで運行された後、2004年に廃車、1両だけ苗穂工場に保管されていましたが、2015年に解体されています。

 

「ビッグスニーカートレイン」 の頭上にはANAの航空機。値千金の一枚のように見えますが、皆、きっと同じ絵面を狙ったのは言うまでもありません。

あの頃のJR北海道はリゾートブームに肖って潤っていましたが、バブル崩壊後、ジリ貧への道を徐々に歩んでいくことになります。そう言う意味で言うと、伊豆地方も同じなんですよね。ヨソ者が札束抱えて勝手に開拓という名の自然破壊をしたかと思うと、経営がヤバいと感じたら、勝手に開拓した上物をほっといてさっさとトンズラしましたから。バブル景気は世の中が潤っていたのは確かだけど、狂っていたのも事実だったりします。

 

【画像提供】

い様

【参考文献・引用】

ウィキペディア (JR北海道フラノエクスプレス)