北条鉄道は粟生(JR加古川線・神戸電鉄接続)から北条町まで全8駅の短い路線です。
ちょうど中間駅あたりにあり、交換設備が完成した法華口駅が戦争遺産の鶉野飛行場最寄り駅です。
まあ、ハイキングをされる方でしたらちょうどよいお散歩コースになると思います。
長い距離を歩くのは苦手な方は、駅で電動自転車の貸し出しもあります、因みに法華口駅にはパン屋さんが併設されています。
まず最初に、姫路海軍航空隊の門が出迎えてくれます。
衛兵詰所もありますが、おそらく門も詰所も後に作られたものでしょう。
防空壕のような建物もあります。
ここを通過して間もなくすると。
やけに開かれた土地に出てきます。
飛行場の跡に出てきました。
飛行場の端に格納庫が建設されて、紫電改が展示してあります。
紫電改は出世魚みたいな戦闘機で、もともとは水上戦闘機、フロートが付いた俗に言う下駄履き機で「強風」と言う飛行機でした。
性能の良い強風を海軍は陸上機にするよう川西航空機(現在の新明和工業)に指示し、出来たのが「紫電」です。
紫電は中翼機(=〇=翼が図のように胴体の中央付近から出ているものが中翼機、写真の紫電改のように胴体の一番下から‗〇‗このように出てるものを低翼機と言います、低翼機がひっくり返ると高翼機です。)の為、タイヤの足が長くなってしまい、そのため複雑な機構の不具合や強度に問題が出て、下手くそなパイロットが乗ると着陸時に足を折ってしまう事故が多発したそうで、ならば低翼にして足を短くしてしまえ、となって紫電の改造型である紫電改が誕生したのです。
紫電の改造型なので紫電改と説明しましたが、紫電改の正式なお名前は紫電21型です。
左斜め後ろから、層流翼が判りますか?私には判りません。
後ろやや右側からです。
勿論、飛びません、この紫電改は木製の模型です。
ただ、コックピットには実際に座れるようです。
この日は御覧のように軍服を着た人や飛行服を着た人もいて、実際にコックピットに座って古の雰囲気を醸し出していました。
紫電改、正に太平洋戦争末期に出てきた救世主の様な戦闘機でしたが、時すでに遅し、と言う悲運の戦闘機と言う方もいますが、私は海軍が組織的な戦闘機隊の運用を行った最後の343空所属機と言う位置づけで見ています。
何故なら、紫電改の登場した頃に陸軍には4式戦、5式戦と言う紫電改と遜色ない戦闘機があったので、紫電改の登場は時期に見合ったものだったのでしょう。
しかし、優秀な日本人技術者が世界に力量を誇示したものである事は間違いのない事実です。
343空を語る時に主役は勿論「紫電改」ですが、私はその美しい機体で快速を飛ばす偵察機「彩雲」を忘れる事は出来ないと思います。
(Wikipediaより拝借)
グラマンF6Fヘルキャットに迫撃された彩雲が発した「我に追いつくグラマン(敵機)無し」は、その快速を示すエピソードです。
鶉野飛行場跡では紫電改の展示を行っていますが、これから97式艦上攻撃機を制作するそうです。
コロナが一段落しましたら、皆さんも訪れてみてください。
(訪問される場合は、色々な企画やボランティアガイドなどがありますので、兵庫県加西市のHPを確認してください)
神戸電鉄で帰途につきました。
そろそろ皆さんお待ちかねですね!!!
ではここで~~~~~!
紫電改と掛けまして~!
円広志さんの乗った大阪環状線と解きます~。
その心はぁ!
飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで~!回って回って回ってまわ~る~~~~~~~!
飛んで降りて眼が廻る~、おしまい。