【肥薩線・くま川鉄道の早期復旧を願って】昭和40年7月水害被害からの復旧模様(湯前線編) | 人吉鉄映会

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熊本県人吉市・球磨郡を走る肥薩線・湯前線・くま川鉄道の今と昔を発信していきます。

人吉鉄映会です。今年もよろしくお願いします。

 

人吉球磨地区の蒸気機関車時代などの懐かしい鉄道写真や、SL人吉、いさぶろう・しんぺい号などの今の鉄道写真を紹介することによって、肥薩線、くま川鉄道の良さをもっと知ってもらいたいという思いで、昨年当ブログを立ち上げました。

 

ところが5月以降、新型コロナの影響で鉄道が運休を余儀なくされた上に、7月の豪雨被害で鉄路自体を失ってしまうという最悪の状況に見舞われてしまいました。

 

それでも当初の目的の懐かしい鉄道写真をご紹介するとともに被害状況や復旧状況をお伝えしていく事で、全く微力であるとはいえ、復旧への機運につながればいいと思って続けてきました。今後もこういったスタンスのブログをご紹介することになると思います。引き続きよろしくお願いします。

 

ということで2021年最初のブログですが、今から遡ること50年以上前の昭和40年7月にも水害が発生し肥薩線・くま川鉄道(当時は湯前線)が被災しています。その際の復旧状況をご紹介します。

 

昭和40年7月3日の豪雨によって球磨川堤防が決壊、昨年の水害とほぼ同範囲で人吉市内が浸水しました。その際も球磨川本流に加え、山田川・胸川といった支流の氾濫も報告されています。30分ほどで一気に水位が1mほど上がったということです。これを機会に堤防のかさ上げなどの洪水対策が行われてきました。

 

それが功を奏したのか、それ以降は街中が水没するような水害は発生していませんでした。誰しもが「昭和40年7月水害」が人吉球磨地域にとって過去から今後も「最悪の水害」として伝えられていく事になるだろうと思っていたはずです。

それが令和2年の水害はそれを上回ってしまう水害になってしまいました。

 

青井阿蘇神社の蓮池前の駐車場付近にある電柱の写真です。この電柱に昭和40年水害の水位表示があります。これで高さ2m付近。(その後に昭和46年にも水害は発生してますが、水位は1mでした)。ここまででもかなり水没する水位ですが、令和2年7月水害はこれをゆうに超える4m近い水が押し寄せてきました。

 

令和2年水害の川村駅周辺の被害状況は昨年9月にブログに挙げています

 

 

 
1965年7月6日、水害から3日後の川村駅。駅前の線路が流出しています。
 
一面水浸しの駅前。流された距離標がもの悲しい
 
水たまりになった場所で遊ぶ子供たち、画面右端には流された線路が見えます。
 
球磨川第4橋梁に向かう線路。バラストは流出してないものも線路が押し流されています。
 
以下は水害後1週間後の7月10日の復旧中の状況です。(川村駅付近)
8620型(車番は不明)が復旧部材を積んだ多くの無蓋車を引いてきました。後方には車掌車ヨ4245(ヨ3500型)が付いています。
 
 
 
 
 
こうした関係者の努力により無事7月12日には運転再開されています。
 
湯前線上り普通列車。川村駅島到着手前。流された距離標がまだそのままであり、線路周辺はまだ水害後の荒れた状況が見られます。いかにまず早く列車を通そうとしたかが伺われます。車窓からは多くの人の顔が見受けられます。被害状況を見ようとしているのもあると思いますが、湯前線が地域の人々の足であることが伺えられます。
 
同上列車。川村駅到着。流されたところは新しいバラストが敷かれ真新しい線路になっています。
こんなに早く復旧できた理由としては何より第4橋梁が流されていなかったことです。これは次回に見ていただく肥薩線川線も同じことです。第1・第2橋梁とも無事でした。鉄橋が流出なんて考えもつかないことです。これが今後の復旧の足かせになることは容易に考えられます。
 
次に当時は「国鉄」湯前線だったということです。現状のくま鉄は3セクで単体で復旧資金を調達するのは容易ではありません。ただ国の支援があるのでそれを活用すれば高額な金額の調達をする必要もなくなるので期待したいところです。
 
ただ「地域の足」であるということは今も昔も変わりません。道路状況や車の所有率は上りはしましたが、少なくとも地域の学生にとってはこれは復旧させるべき大きな理由です。輸送力や運行状況を考えるとバスではだめです。絶対だめです。大量に安定した定期運行ができる「鉄道」でないとだめです。
 
くま川鉄道の復旧方針では、以前お伝えしたように被災しなかった「肥後西村(ひごにしのむら)」と終点「湯前」をまず運行させる方向性が決まりました。あとは仮検修庫の設置場所の検討(多分あさぎり駅と思いますが)と動ける気動車の確保でしょう。
 
東日本大震災の復興の象徴として三陸鉄道の再開を挙げる方も多いと思います。それほど鉄道というのは重要なインフラです。
一足先に肥薩おれんじ鉄道は再開しましたが、肥薩線、くま川鉄道再開で人吉・球磨Rebornを象徴できるようなイベントにってほしいものです。
 
次回は昭和40年水害被害の肥薩線川線(鎌瀬周辺)をお送りいたします。
 

今回もご覧いただきありがとうございました。

令和2年豪雨で被災された方にお見舞い申し上げます。

皆さんお体ご自愛ください。

 

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