随分と間が空きましたが、京都鉄道博物館での特別展示 117系 T-01編成の続きです。
前回のラストで『今回の記事ではオーソドックスな写真をUPしましたが、博物館ならではの撮り方も考えながら撮ってみました』と言った通りの内容となってます(笑)
とは言え、そこはあまり期待し過ぎないで下さい。
まずは奥に103系と。
そして117系の連結器ですが、運転席下にある正面の連結器は普段から見られるものの、連結されている姿はなかなかお目にかかれません。
こんなに間近で観察できると、あらためて『あぁ、こういう風に繋がってるんかぁ』と、その周囲も含めて勉強になります。
パンタグラフコーナーとクハ117ー1を併せて撮ってみましたが、シャッター切る寸前まで500系W編成用のWPS204が上がっていました。
今、上がってるのはPS17・・・・かな?
そして続いてクハ116ー1と併せてみたのは、1927(昭和2)年から導入されたオハ31が履いていたTR11台車で、晩年は救援車 スエ30ー2に改造されて2015(平成27)年まで宮原区へ現存していました。
次のクハ116と撮ったスポーク車輪は、1939(昭和14)年~1950(昭和25)年の間に製造された、35系客車のオハフ33が履いていたTR23台車です。
そして台車や車輪との写真は最後になりますが、大きい方が蒸気機関車 D51の動輪で、小さい方は特急電車 151系のモハ150の車輪を、クハ116をバックに撮ってみました。
台車や車輪だけではありますが、最初のTR11と1979(昭和54)年製の117系との距離は10~15m程度であるものの、そこには52年の時間が流れていて、歴史の時空を感じられました。
ところでTR11台車の下角に写っている国鉄特急色の模型は、振り子システムを学習するためのもので、車両は591系 クモハ591なのですが、残念ながら顔ナシです。
さて、マニアックな写真はまだ続きます。
クハ116の屋根に搭載されている冷房室外機 AU75B越しに、キハ80・DD51-756・クハ103をバックに撮ってみました。
D51の動輪と151系の車輪に列なって見えるのは、元祖新幹線 0系の中間電動車の車輪です。
さて117系の屋根上ですが元々、クーラーの両横には新鮮外気導入装置が付いていましたが、その当時は今の様な事態は予測できなかったとは言え、もし取り外されてなければコロナ禍の中で威力を発揮したのかも知れません。
続いての屋根上はモハ117に2機搭載されているパンタグラフ PS16Jです。
Tcはトップナンバーの展示でしたが、MM'は100番台の展示だったので、パンタグラフが2機ついてます。
まぁ、その辺はまた次回に少し語ります。
写真は度を増すのできっと『何が面白いん?』的になるんですけどねぇ。
▼本日限定!ブログスタンプ
我が家の七草がゆ

さて、昨年までは平成の日というブログスタンプでしたが、令和も3年目となれば人日節句に換わりますね。
人日とは五節句の1つで、正月の1の日を鶏の日、2の日を狗の日、3の日を猪の日、4の日を羊の日、5の日を牛の日、6の日を馬の日とし、それぞれの日にはその動物を殺さないようにしており、7日目を人の日として、犯罪者に対する裁判や刑の執行は行われないと、古代中国での習わしでした。
その縁起担ぎとして酉の刻から芹(セリ)、戌の刻から薺(ナズナ)、亥の刻から御形(ゴギョウ)、子の刻から田平子(タビラコ・ハコベラ)、丑の刻から仏座(ホトケノザ)、寅の刻から菘(スズナ)、卯の刻から清白(スズシロ)を採取して帰り、辰の刻からこれら7種を合わせ、東から汲んで来た清水で煮て親に食べさせると、健康で長寿にいられるとの説話が生まれ。
これが日本に伝わって平安時代初期頃から七草粥の風習となり、江戸時代には庶民にも定着して現代に至ります。
本来は揃えた七草の仕込みをする際、玉椿の枝で叩くのが正式ならしいですが、近代では代用品としてしゃもじやお玉、包丁の背などで叩いて細くしていました。
今は普通に包丁で切ってしまいますよね(笑)
さて、七草の中で田平子(タビラコ)とありますが、日本では仏座(ホトケノザ)と同じ品種を指すので、独自に別途ハコベラと言われます。
しかしハコベラという植物は存在せず、魚にはその品種がいますが、これはどういうことかと言うと。
ハコベラとはその他の野草という意味で、多くは発音の近いハコベを使われる事が多いですが、人参や大根、ゴボウなどの根野菜で作ってもかまわず、大豆から作られる豆腐や油揚を使ってもかまいません。
まぁ、縁起ものですから、難しく考えず家族そろって朝食を食べられれば、それで良いよです。
