1989年4月10日(月)の鉄道写真撮影日記。
(この日記は1989年4月10日の内容だが、ブログ投稿は2020年12月31日)
1989年(平成元年)4月当時の俺は16歳(高校2年生)
この日は、入学式だったので、在校生はむしろ学校に行かなくて良い日。
俺は朝、4:00起床で、4:40頃には出発し、
亀有から青春18きっぷで湯本へ
この時代の青春18きっぷは、一日分が一枚ずつになっていた。
駅に入場する際に日付のハンコを押してもらう。
湯本で、クハ401のデカ目(原玉)の低窓車を撮影。
485系のボンネット車も…
背後のキハも気になるが、顔は撮っておらず…
このあと、「平駅」へ…
(平駅は、現在の「いわき駅」だ)
当時は455系が当たり前に走っていた。
ピンクのものは、ちょっとずつ減ってきており、後ろのグリーンライナーの塗装に変更されるものが増えてきた時代だ。ピンクの455系はもうすぐ無くなるなんて言われていた時代だ。
平駅先端でシールドビーム(チビ目)の低窓車を撮った。
これ、ズーミング流し撮りに見えるが、実は停まっている車両だ。
おそらくラジアルというフィルターを装着し、絞りは開放近くで撮っている。
背後にキハ58みたいなものが見えるのも気になる。
おそらく、磐越東線だろう。
泉駅からほど近い、川が前景に入るところで415系の普通列車などを撮影。
485系のボンネット車の特急『ひたち』が当たり前に走っていた時代だ。
チビ目のクハ411の普通も多かった。
このあと、植田へ移動。
植田駅の近くのハンバーガー屋で昼食。
植田駅から徒歩20分くらいの適当な田園風景のところで、
ピンクの455系を撮影。
↓ ケツ撃ち
引き続き、他の列車も撮影。
デカ目もそんなに珍しくなかった時代だ。
貨物列車も来た。
専用貨車も珍しくなかった時代だ。
この時代は、まだ651系が新しい時代だった。
特急『ひたち』は485系で
『スーパーひたち』は651系だった。
415系1500番台(ステンレス車)も、まだ新しかった時代。
まだ、どちらかと言えば少なかった。
むちゃむちゃ遠いケツ撃ち。
これでもトリミングしているので、実際には遠くに小っちゃ~く写っている。
帰り、さっき撮ったと思われる455系が戻ってきて、それに乗った。
帰り、神立あたりで検パが来た。
当時は田舎のほうはまだ自動改札機の導入されていない駅が殆どだったため、わりと検パが来るものだった。
【了】
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