晴れた日に見たかった景色 SLクリスマストレイン 北の貴婦人 | 白い帆と蒸気

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鉄道、ほぼほぼ蒸気機関車の記事を中心に時折ヨットの記事も交えて紹介していく予定です。よろしくお願いします。

12月29日 昨日がきゃばちょこさんの月命日でした。

氏が亡くなられた11月29日 私も磐越西線に遠征しており、深夜22時58分 帰宅途中の車の中で我々の仲間内のライングループに1件の事故の記事が流れました。朝日新聞電子版を転送してくれたものでした。住所と名前できゃばちょさん? それから伝手を使って確認し・・・1時間後・・・できれば間違いであって欲しいという期待は崩れ落ちました。
氏がブログに江ノ電を紹介した記事に私がコメントし、程なくして三川で偶然お隣で撮影したのが3年前。TAKAさんとも初めてお会いした日です。短いお付き合いでした。

氏とは、撮影の際に時々沿線でお会いしてお話ししていると、とても楽しい気分になりました・・・蒸気機関車をはじめ、鉄道を愛する気持ちが凄く伝わってきたからだと思います。磐越西線の沿線ではいつも氏の車や姿を探していたように思います。

 

氏がお亡くなりになった週の土曜日 12月5日に事故現場に献花してご冥福を祈りましたが、その時案内してくださったきゃばちょこさんの撮影仲間の方が、事故の当日は晴れていたらここではなく、飯豊山を見渡せる場所に行く予定だったとお話ししてくださいました。

私とMさんも29日は飯豊山が見えていればそこで撮りたいと思って登り口までは行きましたが、朝のうちは山頂部は雲に隠れていたため線路際の撮影を選びました。11月29日は、事故現場をばんものが通過したころから急に青空が広がり、30分後には飯豊山が頂上を除いて綺麗に見えていました。

この日私は、きゃばちょこさんが構えていた山の麓の線路際で撮影した後、見え始めた飯豊山をバックに3か所で撮影しました。夕方の素晴らしい日差しは昨日紹介した通りです。きっと、きゃばちょこさんの天に向かう魂が空の雲を払いのけたのだと私は思っています。

しかし、もう2,3時間早く晴れてくれていたら・・・その後何度もそう思いました。色々な意味で。


12月5日、朝方は雲が多かった天気も、献花後は急速に晴れ上がり青空の下飯豊山が綺麗に見えるようになりました。氏も我々も晴れていれば11月29日に行くはずだったポイント。この日我々3人は追悼の意味も込めてその地に立ちました。俯瞰好きが集まりそうなこのポイントにも、門デフでHM無しということで他に誰もいません。

 

しばらく車で寒さを凌いでから斜面を登り、飯豊山が見える地に立ったのは列車通過40分前。一旦晴れた空も、この頃には一面に薄雲が広がってしまい、通過10分前には山頂部はあの日の朝のように雲に隠れてしまいました。

そして通過の時間に。 事故現場を列車が通過する際には、きゃばちょこさんが大好きだった長い汽笛が20秒の間響きわたりました。

最初の10秒だけ黙祷。

 

眼を開くと、SLクリスマストレインは追悼の汽笛を鳴らしながら眼下に現れました。

ここからでも門鉄デフ、HM無しがかろうじて分かります。

一旦隠れた機関車は、針葉樹の隙間に顔を出しました。

 

飯豊山を望む谷に白煙が棚引きます。

 

多くのファンがカメラを構える横を通過し、トンネルへと進んでゆきました。

 

青空の下、雪を抱いた飯豊山をバックに、阿賀野川に沿って白煙が棚引く景色をきゃばちょこさんは見たかったに違いありません。

運悪く通過の直前に一面雲の影に入ってしまいました💦・・左から日差しが戻りかけましたが僅かに間に合わなかったのが残念です。

 

トンネルを抜けた機関車の白煙が水面に映りました。

 

結果的に晴れた飯豊山の景色は撮ることができず、下山してから飯豊山を見るとすっぽりと雲に覆われていました。

 

またいつか、晴れた日にこの景色をきゃばちょこさんと一緒に見たいと思います。

 

明日はきゃばちょこさんが最後に見た煙と、きゃばちょこさんが愛した地を紹介したいと思います。