今回、大江戸線噺の第7話となります。
本来でしたら第5話に続く第6話として、同時に掲載すべきところでしたが、第5話が思わぬ「大ネタ」となってしまいまして、やむなく別にすることになりました。
⑦大江戸線の駅名はどう変わったか
駅名が変わったといいましても、地下鉄のことですから、開業後に駅名が変更された例はありません。工事施行認可の段階での「仮称」が、開業時に変更された事例を主に取り上げます。
(1)光が丘~練馬
・(高松町)→光が丘
とはいえトップバッターは、免許の段階では「高松町」だったものが、工事施行認可では「光が丘」となった事例です。これは、光が丘という名前で開発が進んだ以上、当然の改称であったといえましょう。「高松」は大江戸線の車輛基地(高松車庫)の名前として残っています。
・春日町→練馬春日町
こちらは、環状部に「春日」がある以上、「練馬」を冠するのはやむを得なかったのでしょう。
(2)練馬~新宿
・豊玉→新江古田
この駅、練馬区豊玉北と中野区江原町に出口がありますので、どちらか一方を駅名にする訳にいかず、至近の西武池袋線の駅名に「新」を付けてお茶を濁したというのはうがちすぎでしょうか?
・(西落合)→南長崎→落合南長崎
この駅も、新宿区西落合と豊島区南長崎に出口があります。当初計画時は「西落合」、工事施行認可では「南長崎」だったものが、結局こういう形で収まりました。公営交通の場合、納税者様という不特定多数の「株主」がいますので、昨今はどうしてもこの手の「合成駅名」が増えてしまいます。
・十二社→西新宿五丁目[清水橋]
仮称は「じゅうにそう」と読み、そのまま開業していれば難読駅名でした。かつての三業地のイメージから、地元ではこの仮称を嫌う向きが多く、現在の駅名になったようですが、その際、駅出口はないものの、一部区間で大江戸線が通過している渋谷区側の住民からも要望があり、渋谷区内の交差点名「清水橋」を「副名称」として採用しています。大江戸線には他にも副名称を持つ駅がありますが、この駅だけは駅名標、乗車券、路線図、アナウンスなどで明示されているとして、開業時話題になりました。
・西新宿→都庁前
大江戸線がなかなか開通しない内に、営団丸ノ内線に西新宿駅が開業してしまいました。この二つの駅はいちおう地下通路でつながってはいますが、都庁のお膝元にできた駅ですし、この改称は当然といえるでしょう。
(3)新宿~国立競技場
・国立競技場前→国立競技場[東京体育館前]
環状部のうち、先行開業した区間の終点です。「前」が取れた代わりに「副名称」が付きました。この駅の開業時点では、国立競技場があのような変化を遂げるとは思いもよりませんでした。
(4)国立競技場~都庁前
・(麻布)→麻布十番
初期の計画段階では「麻布」でしたが、工事施行認可の時点でこの駅名となりました。大江戸線と南北線の開業で、「知る人ぞ知る街」だったこのあたりも、一気に有名になっていった印象があります。
・浜松町→大門[浜松町]
都営浅草線とJR線双方との乗換駅ですが、やはり正式な駅名としては、都営地下鉄の大先輩である浅草線の駅名を採用しました。「浜松町」の方は副名称として残っています。
・汐留(信)→汐留[シオサイト]
こちらは開業当初は信号所で、付近の再開発の完了を待って平成14(2002)年11月2日、駅に昇格しました。その際、「シオサイト」なる副名称が付いています。
・築地→築地市場
この駅は日比谷線築地駅との直接の連絡はありませんし、別の名前になるのは当然でした。ただ、築地市場の豊洲移転で「浜離宮前」とでも改称するのかと思いましたが、場外市場は残っているわけで、駅名は変更されていません。
・清澄→清澄白河
ここも「合成駅名」となります。やはり出口が清澄と白河両側にありますので、双方の「顔を立てた」ということでしょうか。ロンドン地下鉄のように、出口は1か所(有名なデパート「ハロッズ」のあるナイツブリッジ駅などの例外もありますが)ならこうした問題は起きないでしょうが、東京の場合、なかなかそういうわけにもいきません。
・両国→両国[江戸東京博物館前]
開業時に副名称が付いた例です。確かに、総武線の両国駅よりはこの駅の方が、「江戸博」には近いように思います。
・元浅草→新御徒町
何とも芸のない駅名で、それなら「元浅草」でもよかったのではと思いますが、浅草寺へ行く観光客がこの駅で降りてしまっても困りますし、例によって出口が、「元浅草」「東上野」「小島」にありますので、調整が難しそうです。営団地下鉄なら、この辺りの旧町名を思い切って採用するかも知れませんが、お役所が運営する都営交通はその辺り結構厳格でして、町名が変わると都電や都バスの停留所名も律儀に変更していますので、地下鉄の駅名も昔の町名を採用するのは難しいでしょう。
・上野広小路→上野御徒町
銀座線上野広小路駅だけでなく、日比谷線仲御徒町駅とも連絡していることから、こんな駅名になったものと思われますが、おかげで隣の新御徒町駅との区別がつきにくくなってしまいました。
・春日→春日[文京シビックセンター前]
既に都営三田線に春日駅がありましたから、こちらが練馬区の似た名前の駅に遠慮することはありませんでしたが、副名称が付きました。
・新神楽坂→牛込神楽坂
この辺りは、悪名高い「住居表示」による町名改称を拒否したため、古い町名が残っている地域です。強いて言えば「箪笥町」が駅名として相応しいのでしょうが、知名度のある「神楽坂」に、地域名(元は区名)の「牛込」を冠したのでした。
・柳町→牛込柳町
この駅の西口は「原町」にあるようです。とはいえ、都電時代から「柳町」の方が有名ですし、これに地域名「牛込」を冠したものと思われます。なお、町名、交差点名は「市谷柳町」です。
・若松町→若松河田
若松町側だけでなく、河田町側にも出口がありますので、「合成駅名」となりました。河田町といえば、かつてはフジテレビがありましたが、大江戸線開業時にはすでにお台場に移転していました。
・西大久保→東新宿
大久保駅や新大久保駅より東側にあるのに西大久保とはこれいかに?と思われるでしょうが、この辺りの旧町名です。免許申請時点では、まだ「西大久保」だったと思います。この駅の出口は新宿七丁目と歌舞伎町二丁目にあるようですが、この駅名は妥当といえましょう。
・北新宿→新宿西口
この駅名決定も苦しいところです。JRや丸ノ内線の新宿駅と接続してはいますが、大江戸線新宿駅はすでに(南側に)存在します。さりとて仮称の「北新宿」、新宿区北新宿に存在するわけではないので混乱を招きます。「新宿西口」という駅名は、なかなかよく考えられたものと思いますがいかがでしょうか?
大江戸線の駅名をめぐる物語、一部推測を交えましたが、それぞれに事情があることがご理解いただけたのではないでしょうか。大江戸線噺は年内はこれでおしまい。当ブログは、もしかしたらあと1回お届けするかもしれません。