日豊本線は1974年4月に宮崎まで電化されて、延岡や宮崎の蒸機は全て姿を消したのですが、鹿児島区には宮崎と都城向けの入替え用のパシュフィック蒸機4両が残され、その中には最後のC55二両も含まれていました。
高校2年生の冬休みは北海道から帰阪して直ぐに日南線のC11撮影に出掛けたのですが、日南線の貨物列車はお正月でことごとく運休となり、意気消沈して宮崎まで帰って来たときの事です。 なんと!宮崎駅上りホーム脇の待機線に端整な門デフ姿のC5557が止まっているではありませんか!
待望のC5557が見えた時の感動は半端ないものでした。
日豊本線 宮崎 1975年1月5日
その頃、宮崎駅でC55に出会える確率は50%なのですが、日南線撮影で宮崎入りした時にはC57175にしか会えなかったのです。
C57175も均衡のとれた魅力的な門デフのC57なのに、この時は「なんだC57か・・・」なんて罰当たりな事を思っていました。
日豊本線 宮崎 1975年1月3日
C57175の前には分厚い縁取りをしたデフを持ったC11194が繋がれていて、これからの日南線撮影に期待が膨らんだものでした。
日豊本線 宮崎 1975年1月3日
C5557全身のサイドビューは近過ぎて撮れませんでした。
ロッドが上にあり残念でしたが、その分C55自慢の美脚スポーク動輪を心行くまで堪能することができました。
もう終焉間近だったせいなのか? 南九州名物の砲金製の区名票がC5557では外されていた事は本当に残念です。
日豊本線 宮崎 1975年1月5日
C55が居た日、C11189はDF50が憩うターンテーブル寄りに居て、宮崎は電化されたにも関わらず非電化の古き良き時代の鉄道風景がありました。
C11189も砲金製の区名標は外されて、票差しに『志』と書かれた札があり蒸機終焉間近を実感しました。
日豊本線 宮崎 1975年1月5日
宮崎には電機のED76やディーゼル機のDF50、そしてC55やC11の三種類の動力源を持った機関車が顔を揃えていました。
日豊本線 宮崎 1975年1月5日
この撮影当時は「止まっているC55しか撮れなかった」と少々落胆もしましたが、綺麗に磨かれ黒光りするスポーク動輪など静態保存機では絶対に再現できない現役感たっぷりのC55を最後に見ることが出来た九州旅行でした。
最後まで御覧戴いて ありがとうございました。