私が鉄道に興味を持ったきっかけは、営団地下鉄 (→東京メトロ) 東西線であるというのは、ヤフーブログ時代からひつこいほどお伝えしてきました。その後、国鉄総武線の “きいろいでんしゃ” や京成電車でさらなるカルチャーショックを受けました。その途上には、都営地下鉄浅草線 (当時は都営1号線) という “悪夢” もありましたが、半世紀近くにわたって、私の人生には常に鉄道がつきまといました。

 

さて、幾度か乗っている京成電車ですが、画像の “青電” にはとうとう一度も乗る機会が訪れませんでした。偶に乗る京成はクリームと赤のツートンカラーの電車、通称 “赤電” とステンレスに赤い腹巻きをした電車で、 “青電” はすれ違ったり、当時あった津田沼の工場に佇んでいるのを見かけた記憶はあるんですが、残念ながら乗った記憶は無いですね。

 

京成の “青電” は、 “赤電” が登場する前の京成通勤車両の標準塗色で、基本的には京成自社線のみの運用で、都営地下鉄には乗り入れない仕様になっています。

様々な形式が存在した中で、私が一番記憶に残っており、且つ最後まで現役だったのが画像の2100形です。

2100形は1952年に登場した車両ですが、先頭車 (制御車) のみの存在で、700形や210形に組み込まれていました。 

1980年から外板塗色を3000系列と同じ、朱色一色 (ファイヤーオレンジ) に塗り替えられまして、1981年までに完了しています。

 

廃車は1987年から始まり、1988年には2100形と210形は “卒業” することになって、トップナンバーの編成が青電塗装に戻されまして有終の美を飾りました。

青電消滅後、京成電鉄創立100周年を記念して3300形を青電塗装に “復刻” したりして、最近の世代にも馴染みは深いかなとは思いますし、2100形ではないけど、200形のモハ204が宗吾車両工場で保存されています。

画像は青電さよなら運転時の模様だと思いますが、背後に首都高速道路が見えることから、堀切菖蒲園駅で撮ったものじゃないかと推察します。そういえば、 「3年B組金八先生」 の第一シリーズ第1話のオープニングは、いきなり青電が登場していますしね。画像の雰囲気も何となしに 「金八先生」 を連想してしまいます。

 

【画像提供】

は様

【参考文献・引用】

ウィキペディア (京成青電、京成2100形電車)