さて一方、駿豆が実力行使に出た直後の同年7月6日、横浜地方裁判所小田原支部では両社から申請されていた仮処分について、乗り入れ協定に定められた契約期間を根拠に駿豆側の主張を認め、
「箱根登山は自動車専用道路の早雲山線へ乗り入れてはならない」
と決定した。
箱根登山はこれに対して東京高等裁判所へ即時抗告し、高等裁判所では箱根登山の主張を認めてこの案件を横浜地方裁判所小田原支部に差し戻す。
こうした法廷闘争の最中、西武側は突如として小田急の株式の買占めを図った。
「箱根登山は小田急の系統だから。
あちらがこちらの道路を乗っ取ろうとするなら、
こちらはあちらの会社全てを乗っ取るまでの事だ」
と、康次郎は言い放った。
西武グループの財力にものを言わせ、瞬く間に127万株を買い占めたのである。
西武側の士気高揚にはなったが、これはやり過ぎであった。
西武としては流石に東急と小田急の二正面作戦には対抗する策が無い。
となると、片方(勢力が弱い方)を全力を持って叩き潰す必要があった。
当然ながら、小田急を狙ったのだ。
後はゆるりと東急を相手にすれば良い。
流石に西武が全部を買い占める事は不可能だか、小田急側は窮地に至る。